恐竜王女の御幸(ミユキ)-Prologue-
老婆が祈る。旧き神々に祈る。
大祭壇の前、聖なる炎を絶やすことなく、祈りの言葉を高く低く謳いながら。
地にひれ伏す老婆の両の手の爪は鋭く尖り、皮膚は浅黒い緑。
なめらかな鱗に覆われたその姿は、ヒトではない―
ヒトではない。それは、ハ虫類。
蛇。蜥蜴。いや…「恐竜」。
その後ろ足は、だが、まるでヒトのごとく二足で立つことができ。
祭司たるその老婆は、それにふさわしい豪奢な衣をまとい。
これが野生と本能に踊らされる、ただの変温動物であるはずもなく。
言うなれば、それは…「ハ虫人」。
猿より進化したヒトどもの知りえぬ場所で、ハ虫類もまたそれに似た形態へと進化した。
社会を、文化を、科学を持ち、進化し続けていく生命体へと。
その生命体は、ヒト同様に畏怖を持つ。
己の運命をつかさどると思しき、己より強大なモノ―「神」に。
そう、老婆は祈っている。彼女らの神々に。
暗黒に包まれ何も見えぬ行く末、それを切り開くよすがを求めて。
老婆が祈る。旧き神々に祈る。
その祈りは、数時間も続けられただろうか。
汗がだらだらと額からこぼれ、祈るその声はもはやかすれきしんでいる。
しかし、老婆は祈り続ける。
彼女が求めているのは、自身の未来のような、そんな矮小なものではないからだ。
この国を…ハ虫人の国を、そこに生きる数多の民たちの命、その全ての命運を大きく左右する。
国家の存在と歴史を賭けた大きな決断に、勝利を飾るための信託を得んとしているのだ。
老婆が祈る。旧き神々に祈る。
立ち上がり、ひれ伏し、また頭を上げ、再び地を這い…
そして。
その瞬間が、唐突にやってくる。
「…?!」
祭壇に据えられた、巨大な水晶が、黒く澱んだ。
その靄が揺らめき、うごめき、何かの像を結ぶ…
「そ…そんな!」
老いて濁った司祭の目にも、それははっきりと突き刺さる。
老婆の表情に驚愕、それに替わっていく絶望。
何故なら、彼女は伝えなければならない。
彼女の王に伝えなければならない。
帝国の打つ起死回生の作戦、神々に選ばれたその者の名を…
「ゴーラ王女様…!」
老婆の唇からこぼれたその名は、嘆きと悲哀と混乱にまみれていた。
地球という星の上で、暦は刻一刻と刻まれていく。
かつて、海や山で国々が寸断された昔ならまだしも、世界が通信網で覆われた今現在では、時差はあれどもその暦はほぼ共通。
すなわち、1年は12か月。1週間は7つの曜日。
そして、今年の今日、2月14日は…日曜日である。
それを僥倖と噛みしめ、感謝しているのは…何も、彼だけではないだろうが。
その男は今、あまり彼には似つかわしくない場所にいた。
いや、「潜んでいた」という方が正確か…
彼は、今、「ネットカフェ」にいる。
そう、あの若者たちが怠惰な時間つぶしに使う、マンガだのネットが使えるコンピュータだのドリンクバーだのがある、ああいった場所である。
彼は今までそのような場所に足を踏み入れたことはなかった。
しかしながら、今日この日、2月14日が彼にそうさせたのだ。
そのうえ、長いコートにサングラス、しかも似合わぬ長髪ウィッグまでかぶり、姿かたちを全く変えようとしているのだから。
狭苦しい個室の中、ドリンクバーでとってきたホットコーヒーを傍らに置き、うすぼんやりと光るパソコンのディスプレイ画面に向かい…
そこでようやく、彼は鬱陶しいサングラスとコートを取り、一息つくことができた。
彼の名はヒドラー、百鬼帝国軍の元帥である。
慈悲深く思慮深いブライ大帝は、世界征服を志す国家のトップとして凡百どもが考えがちな「独自暦の導入」に賢明にもNOを出された。
外の世界とのギャップをうめるための新たな手間をかけるだけの価値がない、と考えられたのだ。
それゆえ、今日は世界的にも、百鬼帝国的にも、2月14日。
一般には「バレンタインデー」と呼ばれる日である。
チョコレートで愛や感謝を伝える日。
百鬼帝国では、ブライ大帝がかつて日本という国で過ごしていたことから、日本と同じく主に女性から男性にチョコレートを渡す日とされている。
しかしながら、それがすべて純粋な思いであればいいのだが…
残念ながらそうはならない。
一方的にチョコレートを与えるだけなのはおかしい、と思う者がいるのも当然で。
その1か月後、それを「ホワイトデー」と称する。
バレンタインにチョコをもらった者は、すべからくホワイトデーにそのチョコをもらった者に「おかえし」をせねばならない…
そんな鬼の仁義、鋼の不文律が出来たのは、いつごろだろうか。
これにより、「バレンタインに、ホワイトデーのお返し目当てでチョコレートを配る」不届き者がはびこる…それがこの百鬼帝国でも常態化してしまった。
ヒドラー元帥は、心の底から菓子業界の陰謀を疑っているほどだ。
だが、彼がどんなに不平不満を訴えても、いったんできた世間の流れは最早変えられない。
そう、彼は、標的とされる人物であった。
愛ではない。
感謝でもない。
ホワイトデーのお返しに高額なモノを出すことを要求される、ただのかっぱぎ対象だ。
今日が日曜日であることは、大いに彼の助けになる。
何故なら休日であるため出勤しなくともよいから、女性の部下とも会う危険性がない。
月曜に出してこようものなら、「何を馬鹿なことを!とっくに過ぎておるではないか!」と却下すればいいのだから。
しかし、だからと言って自宅でまったりもできないのがつらいところ。
数年前、同様にバレンタインが日曜日に当たった時、自宅を襲撃してきた連中が多数いたためである。
そのため、緊急避難先として元帥が選んだのが…このネットカフェである。
こんな場所、今まで来たこともない。家からもかなり離れた街中だ。
また、百鬼帝国軍元帥がこんなところに来るなどと想像する者もいないだろう。
念には念を入れ、金髪のウィッグまでつけて、いつもの七三スタイルを隠している…
彼の予測通り、ここまで知り合いには誰にも会わずに来れた。
今現在、昼の1時…
「ゆったり!8時間パック」に2時間延長もするつもりだ、これなら今日を逃げ切れる。
娯楽の殿堂とはいえ、コンピュータがあるのはありがたい。
重要な情報を含む仕事はできないにせよ、作っておかねばならない書類作成くらいは出来るだろう…
ヒドラー総統は珈琲を一すすりし、気合を入れ…仕事を開始しようとした。
その時だった。
ぞ、と、背中を這い回る、悪寒がした。
それは視線。
見られている。
見られている。
気づいたとたんに、全身が硬直し、それなのに大汗がどおっ、と噴き出してくる。
振り返るな。
振り返るな。
振り返るな。
見るな、見るな、見るな見るな見るな見るな。
ああ、だが…気のせいかもしれない。
気のせいかもしれないじゃないか、そうだろう?
自分勝手な希望が、ヒドラーを動かしてしまう。
どうしても確認したくなってしまう。
ゆっくりと、彼は振り返る…
本能が叫んでいる、振り返るな振り返るな見るな見るな見るな。
ああ、だが…
見て、しまった。
ネットカフェ特有の間接照明だけに頼った薄暗い空間
やけに静まり返った、空調の音だけが流れる空気
ブースの入り口、扉のその上
光っている、ぎらぎらと光っている
目、目、
それは一対の…鬼の目!
「ひ、ひぎゃあああーーーーーーーッッ!」
ネットカフェに響き渡る、絶叫。
驚きのあまり、文字通り飛び上がってしまったヒドラー…
そのはずみでずれ落ちた金髪ウィッグが、ばさり、と無様に床に落ちる。
「クックック…見つけた、見つけ出したぞえ、ヒドラー元帥!」
「は、白髪鬼?!」
真っ白な長い髪を逆立てる、その壮年の鬼女は…百鬼帝国百人衆が一人、白髪鬼!
情報収集をも得意とする彼女は、ヒドラーの隠密行動など見破るのに容易すぎるものだったのか…
らんらんと輝く目は血走っており、正直マジで怖い。
「ここで会ったが百年目…さあ、覚悟はいいかえ?!」
「ひ、ひいっ…」
気迫。
それに一瞬押されたが、ヒドラーはすぐさま反撃に転じようと立ち上がった、
ブースの中に入られては…終わりだ!
「さあ!受け取るがよい!ワシのバレンタインチョコォ!!」
「い、いらん!結構だ!結構です!」
ブースの扉を全力で押してくる白髪鬼に、これまた全力で対抗するヒドラー。
思わず最後のほうで敬語になってしまったのは、しかし惰弱のあらわれか。
必死で入ってこようとする白髪鬼を押しとどめていると、そこにやって来たのは…ネットカフェの若い店員。
しかし、彼も味方ではない、決して。
面倒くさそうな、だるそうな口調で(そしてやたら間延びした口調で)、無表情気味にこう言ってくるだけだ。
「あのぉ~お客さァん、あぁんまりうるさくすっと他の人にめぇわくなんすよねぇ~」
「う、うるさい!見ておらんと助けんか?!」
「はぁ~~~~~~~~?」
目の前の客が、こんなにも冷や汗をだらだら流しながら、侵入者に恐怖しているというのに…
助けを求めても、だるそうに、やったら語尾を伸ばして間の抜けた声を漏らすだけ…
この無礼者が!処刑だ!と怒鳴り返すだけの余裕は今のヒドラー元帥にはない、
驚愕に見開かれた彼の網膜に、爪鋭い指で小さな何かを懐からつまみ出す白髪鬼の姿!
ああそれはチルルチョコ、20ブライ(注:百鬼帝国のお金の単位は「ブライ」。だいたい1ブライ=1円)で買えて幼稚園の子どもでも安心の駄菓子…
義理チョコにもほどがあろう、と言うそれを、包装も剥かずに。
「わかっておろうなぁヒドラー元帥!ほわいとでーは…三千倍返しぞえ!!」
「な、何ィ?!い、一般的には三倍…」
「問答無用ッ!!」
暴利、あまりにも暴利。
反論しようとして口を開けた、だがヒドラー元帥はそうすべきではなかった。
その間隙を割り、凄まじい勢いで繰り出される白髪鬼の一突き。
喉奥まで割り込む、暴虐の一突き(申し訳程度に、その先端にチルルチョコ)。
衝撃と激しい痛み。
強制的に喉奥に広がる甘味に混じって、血の味。
ついでに前歯が折れる嫌な音と感触が混ざり合い、とうとう、
ヒドラー元帥はショックで意識を喪失した。
遠くで店員のむかつく声が、やけに間延びして響く…
「おきゃくさーん、あんまり騒がれっと退店してもらうッスよぉ~~~~…?」
嗚呼、
がんばれ!ヒドラー元帥!
来年は火曜日だ、有給取って日本まで逃げようぜ!
いつもの廊下も、気が抜けない。
24時間張りつめている監視システムカメラ以外に自分を見ている者などいないはずだ…と思っても、身体の緊張は解けない。
廊下の角を曲がるたび、新たな扉をくぐるたび、その物陰に何者かが潜んでいないかと入念に確認しながら、ここまでやっと、たどりついた。
「…。」
たどりついた、そこは…
とうとう目的地に至り、ヒドラー元帥は思わずため息をついた。
「…ふぅ」
…自らの執務室前。
見慣れたそこに戻るのは、たったの二日ぶり。
百鬼帝国の元帥ともなれば、降りかかってくる仕事は数知れず…
新たな年を迎えるめでたい年始と言えども、彼に許された休日はたったの二日。
ついたち、ふつかと家でゆっくりできたのがもう懐かしい。
たいがいの者の初出勤日は、三が日明けの四日となるが…
どんどんとたまっていくだろう仕事を思えば、気も流行る。
というわけで、哀しいかな…自ら休日を切り上げ、ヒドラー元帥は勤務に赴いたのであった。
だが、元帥たる彼が、まるで人目を避けるかのようにしているのはどういうわけだろう?
それも、他の者がいるはずのない、この日に…
それには、理由があった。
ヒドラー元帥は、恐れているのだ。
今日のこの日を。
今日のこの日に、我が身に襲い掛かってくるやもしれない災難を…
しかしながら、それは杞憂だったのかもしれない。
安堵しながら、彼は己が執務室の扉を開く…
内心、仕事中毒の自分を嗤いながら。
ともかく、この二日の間にたまった仕事の半分は片づけたい、と思いながら。
が、
ドアノブががちゃり、と音を立てた、その瞬間―!
「?!」
びいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーー、と、突然元帥の鼓膜をつんざくような警戒音!
「な、なんだ?!何の音だ?!」
鳴り止まない強烈なブザーに泡を喰うヒドラー。
耐えきれず耳をふさいでしまうも、それでもやかましい音は終わってくれない。
想定外の事態にわたわたしている元帥…
と、そこに、ばたばた、と走ってくる新たな音を彼は聞いた。
「やったあ!うまくいったね、蒼牙鬼ちゃん!」
「ふふん、ほら見ろ地虫鬼、やっぱり私の予想どおりなのだ!」
「―?!」
足音の主たちを振り返るヒドラー元帥の顔に驚愕の色が一気に走っていく…
ああ…
今日、この日!
こいつらだけには見つかりたくなかったのに!!
「過去のデータからすると、ヒドラー元帥がこの3日にハツシュッキンするのは読めていたのだぞ」
「よかった、僕の作った装置、ちゃんと働いたね」
「き…貴様ら?!」
ドアに仕掛けられた警報装置(いつの間に?!)を外してブザーを止めながら笑う地虫鬼、自慢げに鼻を膨らませているのは蒼牙鬼…
どちらも幼少ながらその高い技術力を認められ百鬼百人衆となり、海底研究所でグラー博士とともに百鬼メカロボット開発にいそしんでいる少年少女だが…
「な、何をしに来た?!」
「やだなあ、ヒドラー元帥…年明けと言えば…いつものアレ、ですよね!」
と、地虫鬼が、年相応のわんぱくそうな顔で言う。
「いつものアレ」、に妙なアクセントをつけて。
内心、ヒドラー元帥は舌打ちした…
ああ、それが嫌だから、人目を避け、仕事に赴いたというのに!
頭を抱えたい気持ちのヒドラーの前で、蒼牙鬼と地虫鬼は二人並んで、両手を出して、
臆面もなく言い放ったのだ―
『お年玉、くーださい☆』
建国30年、百鬼帝国。
その中での暮らしは、その王たるブライ大帝がかつて日本と言う国で暮らしていたため、そこでの年中行事が多く存在する。
なので、年始は新たなる年を祝うため、として、偉大なる大帝は臣民に休日をくだされるのだが…
その休日に付与してくるのが、この年中行事。
「年少の者に、年長の者が金銭を授ける」という…子どもたちからすれば、「ハイパーかっぱぎボーナスタイム」以外の何物でもないラッキーイベント。
そう、「お年玉」である!
この目の前のガキどもは、元帥たる自分に金をせびりに来たのである!
「くーださい!くーださい!」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら要求を続けるガキ二名に、嘆息するヒドラー元帥。
「何を言うか!き、貴様ら、年末に特別報奨金ももらったであろうが!
子どもの癖にあんな大金をもらっておきながら、まだ金が欲しいというか!」
「それとこれとはベツモンダイなんだぞ。もらえるものはもらうんだぞ」
「グラー博士だってくれました!ヒドラー元帥もくれると思って来ました!」
まっとうなヒドラーの説教に、えへんぷい、とばかりに胸をはってぬけぬけと言ってのける蒼牙鬼。
一方の地虫鬼は、卑怯なことに比較対象を持ち出してお年玉授与の正当性を貫こうとする。
元帥は沈痛な面持ちで、二人を見返していたが…
はっ、と短く息をつき、気合を入れ。
「論外だ!仕事にならん、出てい…」
「出ていけ!」と一喝して、追い払おうと…は、した。
が、その寸前。
「くーださい!くーださい!」
「お年玉、くーださい!」
「うわっ?!な、何をする、貴様らー?!」
ヒドラーに飛びつき、ぎゃあぎゃあ叫ぶ二人組。
服を引っ張りぶらさがり、耳元で全力で叫び倒す。
『くーださい!くーださい!くーださい!くーださい!』
「う…」
そして、執務室にヒドラーの悲痛な声がこだまする。
「うおおおおおおおお…!」
「わあい、こんなにいっぱい!ありがとうございます!」
「ふふん、満足なのだ。礼を言うのだ、ヒドラー元帥」
「…。」
いくばくかの金を握らせたら、二人の子悪魔…いや子鬼は、ころっと態度を変え、すみやかに姿を消した。
あまりに現金すぎるその態度をいさめる元気は、今のヒドラー元帥にはない。
ぐったりと椅子に背を持たれ、ようやく訪れた静寂に目を閉じる…
(く…余計な出費と時間の無駄が!)
しかしながら、それでも勤勉な元帥は、今日ここに来た目的を忘れてはいなかった。
(ともかく、仕事をこなさねば…決裁せねばならぬ書類もたまっておるな)
気を引き締め直し、書類トレーに手を伸ばした…その瞬間だった。
公正公平なるブライ大帝は、能力の高い者を優遇する。
それ故、百鬼帝国百鬼百人衆には、老若男女様々な者がいるのであり。
年若い者であっても、有能ならば、いくらでも出世への道が開ける…
そう、蒼牙鬼と地虫鬼だけではない…
ヒドラー元帥を狙っている者は!
だんっ、だんっ、だんっ!
「ひぐうッ?!」
突如、自分の周りに落ちてきた、三つの黒い影!
驚愕のあまりひきつれた声を上げてしまったヒドラー元帥を囲み、影は高らかに言う…
「恭賀新年、ヒドラー元帥!一角鬼、推参!」
「同じく、二角鬼!」
「同じく、三角鬼!」
「か…角面鬼兄弟?!」
百鬼百人衆の三馬鹿兄弟こと角面鬼兄弟に取り囲まれ逃げ場をふさがれた元帥、その脳裏によからぬ予感が走る。
何故、こ奴らは今、ここに?!
ああ、そして哀れなるかなヒドラー元帥…
その予感は、まさしく的中していた。
兄弟は、にやあっ、と、笑って、元帥に言う。
三人並んで、両手を出して―
『お年玉、くーださい☆』
「は、はあああぁ?!お、お前ら、自分をいくつだと思っとる?!」
「ウッス!ピッチピチの、18歳でぇっす!!」
「まだ高等学校出てませんから!」
「何かのアンケートで、『お年玉は高等学校卒業まで』って意見が一番多かったらしいッスよォ!」
「し、知らん!知らん!早く出て…」
「くーださい!くーださい!」
「ひィッ?!な、何をする、無礼者ォ!」
「くーださい!くーださい!」
「くーださい!くーださい!」
「や、やめんかああああああッ!」
「くーださい!くーださい!」
「くーださい!くーださい!」
執務室から、聞く者の胸をえぐるような、ヒドラー元帥の悲鳴…
だが、無情にも、今日のこの日、この場所で。
その声を聞く者は、全て元帥からお年玉をせびろうとする、狩人たちだけなのであった…
だから、
がんばれ!ヒドラー元帥!
18歳未満の百人衆は、まだまだいるぞ!
執務室。
立派な椅子に坐している壮年の男、その憂いの色は深く。
広々とした机に肘をつき、ぐったりと頭を抱えている。
憂えている。
これからの騒乱を、思うあまり。
だが、いつまでも逃げてはいられない…
ああ、あの扉の向こう、すでに奴らは群れをなしているはずだ。
逃げ場などない、ここは袋小路。
そして、12月の今日は…自らが立ち向かわねばならない、正念場。
男は、やがて。
扉前で侍る部下に命じた。陰鬱な声で。
「…奴らを、入れろ」
「はっ…」
彼は慇懃にうなずき、いったんの間をおいて。
意を決した表情で、ドアノブに手をかける―
ばたん!
扉のあげた悲鳴は、試合開始のゴング。
壮年の男は顔を上げ、きっ、と唇を結ぶ…
気合を込めて!
「貴様らあッ!一列に並べ、一列にいいいッ!」
「だいたい!女戦士たちの教育にも携わっている私が、何故この金額か?!
自雷鬼などを見ろ!一族の誇りとか言いながら、ろくに動きもせず遊びほうけているにもかかわらず、何故私と同額なんだ?!」
「そ、それはだな…」
すさまじい勢いで叩きつけられる胡蝶鬼の文句に、ヒドラー元帥は思わず身を引いてしまう。
「何というかだな、その、人材育成に関わる分は同額の査定を…」
「ふ・に・お・ち・なあああああいッ!!」
「ひ、ひいっ?!」
元帥の言葉に、机をばんばん叩き猛抗議の胡蝶鬼…まさに鬼女である。
ヒドラーはもう泣きそうであるが、涙声で何とか懐柔に出る。
机の引き出しから何やら白い封筒を取り出し、示すことには…
「わ、わかった!そ、それでは…中央駅前百貨店の商品券!これを3万ブライ分!」
(注:百鬼帝国のお金の単位は「ブライ」。だいたい1ブライ=1円)
「少ないッッ!」
「そそそ、それではさらに1万ッ!」
そこまでの追加を見て、胡蝶機の整った眉がぴくり、と動く。
「…ふん、初めからそうしていればよかったのだ!ではな!」
すぐさまにその封筒をヒドラーの手からもぎ取り、胡蝶鬼は踵を返し。
足音も高く去っていくその後ろ姿に、ヒドラーはやっと呼吸する安堵を思い出した…
しかし。
彼に安息など、許されるはずもない。
何故なら…
「じゃあ、次はワシですな!」
「あ、ああ、大輪鬼…」
「ちょっとねえ…昨年度よりの減額と言うのはね!ワシは納得がいかんのですよ!」
ずい、と前に出てきた、恰幅もよい大男は大輪鬼。
その口から流れ出る文句に、ヒドラーは疲労の色を隠すこともできず、ため息をついた…
時は12月。
この鬼の国たる百鬼帝国では、畏れ多くも慈悲深いブライ大帝様の温情により、
エリート集団百鬼百人衆には「特別報奨金(ボーナス)」が出されるのだ。
皆、このボーナスをたのしみにして、年の暮を待ちわびているのだ。
しかしながら、この報奨金はいかなる基準で算出されるのか?
偉大ながら鷹揚であられるブライ大帝は、金勘定などしはしない。
すなわち、彼の第一の部下たる男にそれを任せている…
そう、ヒドラー元帥である!
今日はその特別報奨金の支給日。
彼らが、自分の得たボーナスの金額を知る日。
そして…
その評価に不満だった者が、一挙にヒドラーの執務室に押し寄せる日。
すなわち…怒りの訊問タイムだ!
「えっく、ひっく、ぼ、ぼく…一生懸命やってますぅ…!」
「わかっておる!わかっておるぞ地虫鬼、だが子どもがそんな大金を…」
「…びえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛ん!!」
「ひぐうッ?!」
「俺の報奨金の金額。これがどのようなルールで出したのかをはっきりさせてもらおう」
「あのな、鉄甲鬼。去年も説明したとおり…」
「ヒドラー元帥ッ!俺はそれが正しいと思えない限り、納得は出来んッ!
さあ、何故俺の報奨金が48万5800ブライなのか、説明してもらうぞッ!
お前も元帥と言うなら、正々堂々と釈明できるはずだッ!」
「…。」
「あと5万ブライは欲しい!ここは譲れない!」
「暗黒鬼、確かにお前の作戦はよかったのだが、その…」
「はぁ?!そんな口先だけでごまかされませんよ!さぁ、ここは認めてもらわねば!」
「ひいっ…」
陳情は、まだまだ続く。
でも、ボーナスはとっても大事…
ゲッターを倒す、世界征服する、でもその高い志だけじゃ、ずっと頑張り続けてられないから。
たまにはこんなゴホウビもないと、やりきれないから…
百鬼百人衆が力いっぱい来年も働けるための、そう、これは大事なエナジーチャージ。
みんなが必死なのも、当然だ…
だから、
がんばれ!ヒドラー元帥!
陳情の待ち人数は、あと68人だ!
追記:
ヒドラー元帥の特別報奨金は87万4000ブライでした☆
(部下がひがむので、毎年据え置きで昇給はしません)
ヒドラー元帥「…(涙)」