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それ行け!早乙女研究所所属ゲッターチーム(TV版)!

70年代ロボットアニメ・ゲッターロボを愛するフラウゆどうふの創作関連日記とかメモ帳みたいなもの。

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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody) epilogue

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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody) ~fine/epilogue~
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それから、盛夏の日々は過ぎ…やがて、月が変わる日も過ぎた。
元気も、多少の宿題に悩まされたものの…何とか課題を片付け、また学校生活を送り始めた。
そして、それから二週間ほどすると、教師に提出した宿題が採点されて戻ってくるようになる。



そのうちの一つ、「自由作文」…元気の書いたそれをもしゲッターチームの面々が見たら、きっと一発で卒倒してしまったことだろう。



=================================

    夏休みのできごと
                       4年1組  早乙女元気

 8月の18日、ぼくとエルレーンのおねえちゃんは、悪いひとたちにゆうかい
されてしまいました。気がつくと、ぼくはでっかい飛行機のなかにいました。
そこでぼくたちは、首がからだからはなれているのに生きているブロッケンはく
しゃくという人や、からだの右半分が女の人で、左半分が男の人というあしゅら
だんしゃくという人に会いました。
あしゅらさんは、ぼくたちを人質にして、悪いことをしようとたくらんでいたの
です。だから、僕は最初、どうしたらいいのかってほんとうにこわかったです。
でも、心配することはありませんでした。
あしゅらさんたちを最初見たときは、まるでばけものだと思ったけれど、だけど、
二人とも本当はとてもやさしい人でした。
ブロッケンさんは、かっこよくって、ちゃんとぼくたちと話をしてくれて、すご
く男らしい人です。あしゅらさんも、なんだかあったかいかんじがする人です。
あしゅらさんも、ブロッケンさんも、その部下の鉄かめんさんたちも鉄じゅうじ
さんたちも、みんなみんなぼくたちにやさしくしてくれたんです。
そうしたら、そこにもっと悪いやつらがおそってきました。地球の人間をみんな
支配しようとしている、百鬼帝国のきょ大なロボットたちです。
ぼくのお父さんが戦っている悪いやつらだったので、ぼくはブロッケンさんあしゅ
らさんと、それからエルレーンのおねえちゃんといっしょに戦いました。相手は
とても強くて、とちゅうでまけそうになったけど、がんばって勝ちました。
そのあとはあしゅらさんたちのせんかんでおとまりして、次の日に家の近くまで
おくってもらいました。
もしかしたらもう会えないかもしれないけれど、またブロッケンさんやあしゅら
さんたちに会いたいです。

=================================



これに目を通した担任の教師は…
どうやら、この奇想天外すぎる物語を「創作」ととってしまったらしく、こんなピントの外れたコメントが朱書きで添えられていただけだった。
…「たいへんよくできました」の、かわいらしいウサギさんスタンプとともに。




「とってもおもしろいお話ですね。元気くんはせいぎのみかたなんだね!
すてきな友達がたくさんできてよかったね。
でも、元気くんはこどもなんだからあんまりあぶないことはしちゃいけないよ!」



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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~a capriccio~Movement 4

「百鬼帝国…か」
巨悪の巣窟、ここは悪の天才科学者ドクター・ヘルが居城たる地獄城。
光子力研究所殲滅のために派遣した部下たちの報告は、前もって聞いていたとはいえやはり衝撃的であった。
「オーガの国とはな…そんなものがあろうとは」
巨大ロボットを製作できるほどの高い科学力を持つ亜人どもの国があり、そしてそ奴らが自分たちを攻撃してきたとは…
長いひげを撫でさすりながら、不快そうに一人ごちるヘル。
「…」
「…」
主の前にひざまずく異形二人は、何も言わぬままその様を見守っている。
老科学者はしばし、不愉快気にうなりをあげながら思考していたが…
やがて、ふう、と長いため息をつき、何とか気持ちを切り替えようとした。
「どちらにせよ、我らに牙剥くなら容赦は出来ん。切り払うのみよ!」
「はっ…!」
ヘルの瞳が、野望に光る。
新たな敵勢力の出現は脅威ではあるが、自分たちの敵はあくまでマジンガーZ、あくまで光子力研究所…
最終目的たる世界征服の前に角持つ亜人たちが立ちはだかろうと、それはその時に考えればよいこと!
「あしゅら!ブロッケン!だが今はともかく新機械獣を作らねばならぬ!
開発を急がせよ!」
『ははっ!』
下された命に、同時に応じるあしゅら男爵、ブロッケン伯爵。
二人の声が、玉座の間の空に混ざって散っていった。


「うぇ~い…グラちゃんおひさ~」
「さっき会ったばかりだよ…」
疲労困憊の鉄十字兵・ルーカスの前に通りがかったのは、友人の鉄仮面兵・グラウコス。
顔はお互い仮面やマスクで見えないが、歩みがふらついているのは身体を酷使した証拠だ。
二人ともグールで帰還したとたんにまた警備のシフトを組まれており、地獄島をゆらゆら幽鬼の様に見回っているのである。
「てゆうか、帰ってすぐ休みもなく次のシフトとかむごくね?俺死んじゃう」
「まあまあ…機械獣製作チームに比べたら全然マシらしいよ?」
「そりゃそうか、4体つぶれたから埋め合わせがなー!」
いつも通りもちゃもちゃしゃべくりながら地獄城回り警備ルートを歩く二人。
―と。
グラウコスは遠くの空に目をやり、思い出したようにつぶやいた。
「…元気様とエルレーン様、無事に研究所に戻られたかな?」
「そ~りゃそうよ!」
へへっ、と笑いながら、へらへらとルーカスが答える。
「てゆうか、俺らみたいな子どもを誘拐する悪者なんざ、そうそう転がってませんって!」
「…確かに!」
彼の冗談に、グラウコスも笑って。
とりとめないおしゃべりをし続けながら、二人は仕事を嫌々ながらにこなすのだった。


ところ変わって、こちらは早乙女研究所。
「みんな!おかえりなさーい!」
「おかえりー!」
研究所の格納庫に、ぱたぱたと足音が鳴る。
早乙女元気と、エルレーンとの二人分。
忙しげに行きかうメカニックたちの間をすり抜けて、彼らは戻ってきたゲットマシンに駆け寄っていく。
早乙女研究所にゲッターチームが帰ってきたのだ(今度は普通に、ゲットマシン形態で飛行して!)。
一足先に戻ってきていたエルレーンたちは、彼らの出迎えに走ってきたのだ…
…が。
「…」
「…」
「…」
リョウも。ハヤトも。ベンケイも。
その顔には疲労がべっとりと色濃く、またそのまなざしも暗い。
いや…
正確には「暗い」ではない、「いぶかしげ」なのだ。
こちらを見返すゲッターチーム、三人の不審感たっぷりの視線。
そのあたりに二人は瞬時に気づいてしまったので、
「ど、どうしたの?すっごい疲れてるねぇ」
「げ、元気くん、だめだよぅ…リョウたち、わるいひとたちにだまされて大変だったんだよ?」
やはりこっちも瞬時に演じる。緊張のあまりか、ちょっと声が上ずった。
だが、経験値の少ない二人の演技はあまりにわざとらしすぎて、むしろ彼らの懐疑心をさらにあおりまくる…
「そうそう、僕たちがさらわれたんだってー!そんな変なウソつく人いるんだねぇ!」
「ほんとだねえ!悪いねえ!」
本当らしくしようと気張るあまりに大げさなくらい抑揚をつけるものだから、まるで学芸会だ。
そして、元気とエルレーンの猿芝居を見るゲッターチームは、無言。
「…」
「…」
「…」
「…」
傍に立つミチルも同じく、疑いの眼を二人から外さない…
…これは、まずい。
一刻も早く話題をそらそう、この場から去ろう。
「…と、とにかく、おつかれさまなの!大変だったんだから、しばらくゆっくりしてね!」
「そ、そ、そうだよ!スイカ食べる?!さっきお母さんが持ってきてくれたんだって!」
8つの胡乱な瞳にさらされながら、必死でその目線を避ける怪しい二人組。
努めて明るくしようとするものだから、それはそれはもう凄まじく嘘臭く響くのだ。
「…」
「…」
「…」
「…」
なおさらに8つの瞳が不審の色を増す。
もう怖くてリョウたちの顔を見られない…
ので、元気とエルレーンはくるり、と方向転換。
「わあすいかってなあに?おいしいもの?早く食べたいなあー!」
「そうだよお姉ちゃん!さ、さあいこー!」
リョウたちの返事も聞かぬまま(怖くてとても聞けやしない!)、あさっての方を向いて歩きだした。早足で。
「…」
「…」
「…」
「…」
リョウも、ハヤトも、ベンケイも、ミチルも、無言。
疑念でうろ暗く塗りつぶされた目で、元気とエルレーンの背中を見やっている…
しかし、残念ながら。
貫き通すように見つめても、真実は看破できるはずもなく。
そこに残ったのは、強烈な緊張感で体力気力を奪われた凄まじい疲労感と、
あしゅら男爵の謎の手紙に踊らされて光子力研究所まで無駄に往復してきた徒労感と、
そして、
「…」
「…」
「…」
「…」
ゲッターライガーが開けた、格納庫床の大穴だけだった。


「…ば、ばれないよね」
「だいじょぶ…きっとだいじょぶ」
そして、早足で格納庫から離脱する二人組。
どきどきと心臓が速い鼓動を打っている、下手な嘘と演技のせいで。
けれど、リョウたちゲッターチームには心の底から申し訳ないが(そして格納庫に被害を出された早乙女博士にも!)…本当のことは言えやしない。
人的被害は何もなかったのだし、結果として自分たちは百鬼帝国の攻撃を阻止したのだから…
もしもばれたらそう主張して、何とか許してもらおう。
「…ふ」
「ふふっ」
どちらからともなく、笑いがこぼれ落ちた。
今日。
元気とエルレーンには、共有する同じ秘密ができた。
あの、半男半女の異形のこと。
あの、首無し騎士のこと。
不思議な誘拐事件のこと…
二人の首にかかった革紐のペンダントだけが、それが本当にあったことの証左だ。
碧く煌めく石が、光を吸い込んでうっすらとはねかえす。
鈍く輝く、海のような碧。
エルレーンの胸元で、あの女(ひと)がくれた火龍石のペンダント、その紅と対を為して揺らめいている…




くすくす、とかすかに笑いながら、二人は廊下を歩く。
いつも通りの日常、いつも通りの早乙女研究所―



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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~affettuoso~

草原。
浅間山の裾野、少しばかり早乙女研究所からは離れた人気のない草原。
さわさわ、さわさわ、と、風が草の間を駆け抜ける。
低木を乱雑に薙ぎ倒して地面に座す飛行要塞グールは、その搭乗口を大きく開いていた。
そしてその周りには、異形たちの人だかり。
鋼鉄の兜をつけた皮鎧の兵士どもに、戦争映画の陸軍兵ども。
平和な光景には似つかわしくない、場違いな連中…
二人の少年少女を囲んで、だがその誰もが楽しそうに笑っている。
彼らは総出で賓客の見送りをしているのだ、自分たちが「人質」としてさらってきた者たちの。
「…それじゃあな、ゲンキ、エルレーン」
「気を付けてお戻りくださいね」
「うん!」
「だいじょうぶ!」
少年と少女に笑顔を向けるのは、鉄十字兵のルーカスと鉄仮面兵のグラウコス。
「いやあ、ほーんとメーワクかけちまって…ごめんなぁ」
「いいって、もう!」
何度も同じことを言うルーカスに、元気は笑って短く返す。
自分とともにバードスの杖を持って魂で戦ってくれた彼らに。
…共に苦境を乗り越えた戦友なんだ、もうこれ以上そんな詫びの言葉などいいだろう!
「ルーカスさんも、グラウコスさんも…元気でね!」
「おう!てゆうか、お前らもがんばれよな!」
「お二人も、どうぞお元気で…!」
サムズアップで答えるルーカスと、軽く一礼するグラウコス。
「ほんとありがとー!」
「もう君らには手ェ出さないから!ごめんねー!」
「よくがんばってくれた!ありがとうー!」
「元気でなー!がんばってなー!」
彼らと同じ格好の兵士たちも、皆口々に手を振り別れの言葉を二人にかける…
「!」
―と。
早乙女元気はその視界の端に、くるり、と背を向け艦内に戻ろうとした彼の姿を見る。
ぱっ、と駆け出す。兵士たちの間を縫って。
その細い右腕をぐっ、と伸ばし―
「ねえ!」
「…」
ぐっ、と掴んだのは、冷たい―軍服で覆われた、血の通わぬ鋼鉄の腕。
子どもに無理やり引きとめられた機械仕掛けの将校は、物憂げそうに目をやる…
何やら真剣な顔つきで自分を見つめてくる野球帽の少年、早乙女元気。
「あ、あの!ブロッケンさん!」
「…何だ?小僧」
「あ、あのね、あのね…」
「?」
元気は必死に何か言おうとして、けれどそのための言葉がうまく見つからなくて、
何度も何度もためらって、言うべきか言うべきかでないかを迷って、
それでも―勇気を出して、貴族将校の瞳を見つめ返した。
「僕の『名前』はね、早乙女元気!…『小僧』じゃなくて!」
「…?」
少年の意図がわからず、眉をひそめるブロッケン。
そんな様子の彼にもかまうことなく、元気は言葉をつなぐ。
「あのね、僕たち…また、会えるかな?!」


「僕たち、…『トモダチ』に、なれるよね?!」
「…!」


軽く、目を見開く。
何を言い出すのか、このガキは?
―この、残虐非道、悪辣非情、冷酷無比な鬼将校。
狂気の科学者・ドクターヘルに付き従う、地獄の死者たる自分に…「トモダチ」になろう、と、言っているのか?!
思わず腕を掴む少年の手を払ってしまう。
出し抜けの意味不明な提案に、多少なりとも動揺が伯爵の無表情な仮面に走る。
だが、見下ろす視線の先に在る小柄な少年は、何処までも真剣で…
まるで、自分に挑みかかるかのような勢いで、さらに続けるのだ。
「自分は『バケモノ』だなんてさ、そんな哀しいこと言わないでよ!
…僕が、なってあげるよ!ブロッケンさんの『トモダチ』に!」
「…」
一生懸命に言い募る元気。
彼の熱弁を、懇願を、ブロッケン伯爵は、しばらく呆然としたような顔で見ている。
「確かに、ただの…成り行き、なのかもしんないけど」
あの、男女が融合した怪人が、自分に言ってくれた。
「でも、ブロッケンさんは…エルレーンのお姉ちゃんを助けてくれた」
誰もが、自分なりに、自分にしか出来ないことを。
「だから、いつか…今度は僕が、僕たちが、ブロッケンさんを助けるよ!」
自らの行動を、「選んで」いけばいい、と。
選ぶことのできる者は、決して無実であるはずがない。
選ぶことのできる者は、決して無力であるはずがない。
お前は無実でも無力ではない、と。
「僕にだって、何か…何か、できることがある、…かも、しれないから!」
「…」
だから、己の出来ることをやればいい、と。


幼い少年の突拍子もない言葉に、伯爵はしばし言葉もなく。
その感情の宿らぬ黒い瞳が、唖然と少年を映したまま。
―しばしの、間。
だが、その空白は、不意に破れる。


「…ふふ、っ」


その微笑はどんどん度を越していき。


「く、ふふ…あっはっはっは!」
やがて、彼の唇から、こらえきれない笑い声がもれ出す 。
伯爵は、笑っていた。からからと、気持ちよさそうに笑っていた。
心底楽しそうに、笑っていた―


ブロッケン伯爵のその笑い声は、驚くほど毒気がなかった。
それこそ、普段彼の周りにいるものは一度も聞いたことがないタイプのものだ。
そうだ、彼は…伯爵は、普段こんな風に笑わない。
彼が普段その顔に浮かべるのは、冷笑、憫笑、嘲笑。
見る者のこころを凍てつかせ、いらつかせ、むかつかせる類の…
だが、この機械仕掛けの将校は笑っている…
あたかも、ただの、普通の「人間」のように。
その黒い瞳が、澄んで―笑っている。
その中に、早乙女元気の姿が映っている。


―嗚呼、そうか。
機械仕掛けの貴族将校は、やっと気が付いた。
小僧の「名前」…「ゲンキ(元気)」。
この国の言葉で、それは…Vitalitaet(生命力)をあらわすと言う。
…道理で、こんなにも、人を引きずり回すわけのわからないエネルギーに満ちあふれているわけだ!


それは伯爵に思い起こさせた…
遠い日の記憶、かつて失ってしまった、彼のたった一人の親友。
太陽みたいにエネルギッシュで屈託なく笑う、あの陽気な青年。
眼前の少年は、まるで彼のような陽性のまぶしさと力強さに満ちていた。
そう、自分を無理やり振り回してしまえるくらいに―!


両手がその生首をつかみ、本来その首があるべき場所にそれを据える。
そして、そのまま…軽く、ねじ込むような動作。
がしっ、がきっ、という、金属がこすれ、部品が結合する音。
軽くならすかのように、首を少し回す―
「!…な、何で笑うのさあ!」
「ふふ…!」
と、断ち切られていた首は、普通に…先ほどまでは「なかった」場所にくっついている。
そのまま彼は、軽くその茶色の髪をかきなぜた。
傍目から見たら普通の「人間」と何も変わらない、壮齢の将校がそこにいた。
―そう、自らが「人間」であることを少年に見せるかのように。
「ぼ、僕はもうそう決めたんだからね!決めたんだから!」
「…」
「…!」
ブロッケンの手がすうっと伸び、くしゃくしゃ、と、元気の頭をなぜた。
その手は、やはり冷たくて―だけど、決して不快ではなかった。
静かな、穏やかな微笑を浮かべた伯爵。
異形、「バケモノ」―そして、紛れもない、「人間」。
元気は、ブロッケン伯爵を見上げたまま、視線を外さなかった。
彼の微笑を、彼の姿を、網膜に焼き付けるために。
何故なら、元気にはわかっていたからだ…
おそらくは、今を最後にして。
もう二度と彼とは会えなくなるだろう、決して会うことを許されないだろうことを―
少年の思いもかけない申し出。
だが、伯爵は…微笑したまま、軽く首を振った。
「…小僧。お前は、我輩たちのことなど、忘れなくてはならん」
「…」
「そうだ…全て忘れろ。お前たちは、ただの悪い夢を見たんだ」


―だが。
「…ううん」
今度は、元気が、軽く首を振る。
そして、ブロッケンを見返す。


「僕、忘れないよ。…だって、夢じゃないもん」

「あしゅらさんやブロッケンさん達と、百鬼帝国と戦ったことも」

「ブロッケンさんがバイオリンを聞かせてくれたことも」

「一緒にトランプで遊んでくれたことも」

「…全部、全部、覚えてる。覚えてるから」


「小僧…」
確固たる思いあるいは自分勝手な強情さ。あるいはその両方。
元気は大きな両の目で機械仕掛けの将校を射抜く。
「お前は、本当に…強情な、」
その口が、もう一度罵倒の言葉を紡いだ…
「おかしな、ガキだな…!」
「…!」
敵意も悪意も全然含まれない、むしろ親愛の情。
ようやく元気にも、それがわかった―
「…じゃあな、小僧」
「…ブロッケンさん…」
けれども。
けれども、ブロッケンは―少年の「名前」を、呼ばない。呼ぼうとしない。
密やかな、だが断固とした、拒絶。
だが、それがわかっていてもなお、元気はさらに言葉を継ぐのだ。
「あのね、ブロッケンさん」
「…」
「僕は…会えてよかったと思ってる」
「…!」
「ブロッケンさんや、あしゅらさんに会えて…本当に、よかった!」
「小僧…」
きっぱりとそう告げる元気を、ブロッケンは複雑な表情で見下ろしていた。
それは、軽い驚きのようでもあり、動揺のようであり、罪悪感のようであり…そして、喜びのようでもあった。
…が、やがて、彼も破顔一笑する。
モノクル(片眼鏡)が陽光に反射し、きらりと光った。
別れの時に、わざわざ哀しい顔などしても仕方ない―
だから、笑顔で。
この生意気で我がままで意固地な、そしてこのような「バケモノ」である自分を「トモダチ」と呼ぶ、イカれたこの少年にだけ見せる笑顔で。
「…お前、ガキにしては…なかなか根性が座っておったぞ!」
「…へへん!」
「小僧、元気でな!」
「うん…ブロッケンさんもね!」
にやり、と笑う。それは、不敵な笑み。
伸ばした右手をお互い、握手代わりに打ち合わせる。
ぱぁん、と、小気味のいい音が鳴り響いた。
そして…二人は、もう一度、笑んでみせた。


長身の化生と向き合うのは、エルレーン。
その透明な瞳に、奇怪なアンドロギュヌスを映しこんで。
「それではな、小娘よ」
あしゅら男爵は柔らかな口調で彼女に告げる。
「…いろいろと、すまなかったな」
「ううん…もう、いいの」
弱々しく微笑んだ少女は、ゆっくりと首を振る。
「…」
「…」
ふつり、と、すぐに会話は途切れてしまう。
それを何だかもどかしく思いつつも、二人はどちらも互いから目をそらさないし、歩み去ろうとはしない。
何かを言おうとして、言えない。
何を伝えればいいのか、何を伝えたいのか、見つけられなくて。
エルレーンも。あしゅらも。
だから、二人の合間に、奇妙な空白。
さわさわ、さわさわ、と、渡る風が草を揺らす音が、やけに耳に大きく響く。


「小娘」


ようやく口火を切れたのは、あしゅら男爵の方だった。
「なあに?」
「…」
ぱっ、と問い返すエルレーンに、だが、彼はまた言葉を失ってしまう。
けれどもやがて、たどたどしく…男女の声がユニゾンしながら、男爵の迷いを紡ぐ。
「―本当ならば、もう二度と会わぬのだから。
『せいぜい達者でいることだ』、とでも言うべきなのだろう」
そうだ。
誘拐犯とその被害者など、何度も何度も会うべきものでもない(そんなことを望む被害者が何処にいるものか!)。
「だが、何故か」
そんなことはわかりきっていながら、それでもあしゅらは…こう言ったのだ。
「…お前とは、また会う気がするのだ。この世界の何処かで」
「…」
透明な瞳が、かすかに惑う。
エルレーンが見つめる目の前の怪人もまた、何だか困惑したような表情を浮かべていた。
そして、「また会う」…
それが意味することが分からないほど、彼女も(そして怪人も)愚かではない。
確かに、早乙女研究所はドクター・ヘル一味にとって対立する陣営ではないものの。
しかし早乙女研究所が光子力研究所の盟友である以上、
悪の天才科学者の宿敵であるマジンガーZの盟友である以上…
そこに生まれるのは互いを破壊しつくす戦い、それ以外にない!
事実、あしゅらは光子力研究所への攻撃材料としてエルレーンと元気をさらおうとしたのだから…


だが。
にもかかわらず、それが明白なのにもかかわらず、あしゅら男爵はそう言ったのだ。
それは予感か、予言か、それとも単なる彼自身の欲なのか。
エルレーンにとってその言葉は決して不快ではなかった。
もしかしたら、自分自身もそう思っていたからかもしれない。
うっすらとだが厳然と消えない矛盾、両価性(アンビヴァレンス)。
だから、あえてそれには触れずに。
自分たちの間に新しくできた、あの「約束」にこそ、想いを乗せる。


「…その時は」
にこり、と、エルレーンは微笑。
「その時は、きっと」
いつか来るかもしれない、哀しい「未来」しか生まないかもしれない、その日。
だが、だからこそ、今は、今だけは。
自分のこころを救ってくれた、大切な女(ひと)のことばを想い出させてくれた、
彼女と同じように強いこころをもった、「母親」のようなこのひとのために。
本来の自分たちの記憶を失った、さまよい人たるこのひとのために。
「私に教えてね…あしゅらさんの、本当の『名前』」
「…!」
エルレーンは、半男半女の化生を見つめ。
そうささやいて、微笑った。
星空の『約束』。他愛もない『約束』。
男爵は、少し驚いた顔をして。
そして、その後、
「ああ」
あしゅら男爵も穏やかに微笑む。
静かに響く、男爵の声。
男女両方の声色が、絡み合って不思議なハーモニーを為し、響き渡る。


「私は、そう『約束』したな…!」


こくり、と、うなずく。
エルレーンが、笑んだ。
男の鋭い瞳が、女の切れ長の瞳が…少女を映す。
見据える。
透明な瞳の少女を。
あの、鬼神のような荒ぶる戦いぶり。
恐竜帝国の「兵器」。
「母親」の幻影に惑わされ、黄泉路に片足を踏み入れようとした「子ども」。
―目の前の、「死にたがり」の少女。


「では…」


あしゅら男爵が、笑んだ。
女の青い瞳、男の黒い瞳。
二色の瞳に映る、少女の姿…
奇妙で、哀れで、凄絶な運命を負う娘。
小娘のくせに。
子どものくせに。
強くて、もろい。とてつもなく冷酷で、やさしい―


「―『また、いずれ』」


これが、あしゅらが選んだ台詞。
彼は「ひとときの」別れを告げる。
あしゅら男爵が、笑んだ。
この自分に遠き日の記憶すら思い出させた、いとおしい娘に―




「…『死にたがり』の小娘、エルレーンよ!」




「行っちゃった…」
「行っちゃった、ねえ…」
空に浮かぶ黒点が、どんどんとどんどんと小さくなっていく。
舞い上がった戦艦の巨体が見る見るうちに握りこぶし大となり、黒点となり、光の中に消え…
その様を手を振りながら見送っていた元気とエルレーンの二人。
そう、もう草原には彼ら二人ぼっち…
あの兵士たちの集団は、首無し騎士(デュラハン)は、半男半女の怪人は、もう空の彼方、だ。
夏の草原は、まぶしい太陽にぎらぎらと照らされ、風が熱を孕んで吹き渡る。
ほんの少しまではやかましかった空間が、今では静かな風の音しかしない。
拍子抜けするくらいに、穏やかな、ただの夏の風景だ。
「…」
「…」
草原。
浅間山の裾野、少しばかり早乙女研究所からは離れた人気のない草原。
さわさわ、さわさわ、と、風が草の間を駆け抜ける。
ここから歩いていくのは結構大変だが…
ふ、と、どちらともなく、笑いが漏れる。
けれど、二人は元気いっぱいだ。
大冒険のフィナーレなのだ、がんばって行こう。
両手いっぱいに思い出を、奇妙な「トモダチ」との思い出を抱えて…!
「さあ…研究所まで帰ろう、元気くん!」
「うん!」

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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~con sentimento~

モニターに踊る文字たちが、突如波のように押し寄せた。
「!」
「これ…イケたんじゃねえか?!」
のぞき込む鉄仮面や鉄十字たちとエルレーンの瞳にも、ぱっと光がともる。
―数秒の後。
ごおおおおおん、という深い響きと静かな振動が、応急処置の施されたエンジン群からあふれだす。
廻りはじめたタービンは少しずつ、再び空へと飛翔するための力を生み出し始める。
飛行要塞グールの機械室に、歓喜の輪が拡がる。
「やった!これで何とか地獄島まではもつぜ!」
「帰れるぞー!」
「…!」
飛び上がって喜ぶ兵たちはもちろん、ともに修理の手伝いをしていた少女もにこにことうれしそうだ。
「すまねえな姉ちゃん、あんたにも手伝わせちまってよ!」
「ううん、なんてことないの!」
労をねぎらう鉄十字たちに、きゃらきゃらと笑って応じるエルレーン。
あたりどころがよかった…といっては何だが、戦闘で負ったダメージがあまり深刻ではない破壊だったのが幸いだった。
「じゃあ、さっそくブロッケン様とあしゅら様に報告を!」

「…そうか!よし!」
こちらは船長室。
鳴り響いた電話が告げる機械室からの明るいニュースに、受け取ったブロッケンも思わず破顔した。
それを聞いた元気、すぐさまに彼に駆け寄って。
「ねえ、ブロッケンさん、何だって?」
「エンジンの応急処置が終了した…戦闘は無理にせよ、飛行は可能だ」
「!…そ、それじゃあ!」
「ああ」
きらきらとした目で自分を見やる少年。
くっ、と唇の端だけ上げ、ブロッケンは応じる。
「…お前たちを帰してやるさ、早乙女研究所へ!」


『何だと…ワシの造った機械獣を?!』
「はい…」
うっすらと暗い艦橋。直立不動の体勢の鉄仮面兵、鉄十字兵。
あしゅら男爵もまた身を強張らせ、その前に立つ。
巨大な通信モニターを占拠するのは、ぎらぎらと野心に燃える目と―
白髪長髭。筋骨隆々たるその体躯が、いかにも老人のものであるその顔と異様なギャップを為す。
彼の名は、ドクター・ヘル。
あしゅらとブロッケン、鉄仮面軍団と鉄十字軍団の総領。
世界征服を狙う、邪悪に染まった知性の化身…
『…ヒャッキテイコク、だと?』
「ええ、彼奴等はそう名乗っておりました。頭に奇怪な角を持つ、亜人のようでございました」
『オーガ(鬼)…?にわかには信じがたいが…』
モニターの中のヘルの表情は、不信感でいっぱいであった。
…何せ、4機もの新型機械獣を預けて出撃したはずにもかかわらず、その全てを失った…と言うのだ。
いくらあしゅらがボンクラであっても、今までにない数を出したにもかかわらず?
そして何より驚くべきことは…攻撃を仕掛けてきたのは光子力研究所ではない、ということ!
「百鬼帝国」なる謎の軍団が我らを不意打ちした、と…
「…それは事実です、ドクター・ヘル」
『ブロッケン?』
疑問と疑念、疑惑が張り付いたような主の顔を見て、伯爵も口添えに出た。
「我輩も機械獣の一体・ダイマーU5で応戦したのですが…」
『何と言うことだ…それでは、デイモスF3も、ジェノサイダーF9も、』
「はい、奴らと戦闘し、無念にも…」
嘘や出まかせではない。それは事実だ。
『ミネルヴァダブルエックスもか?』
「…そうです」
そう、残念ながら事実。
嘆息とともに吐き出されたブロッケンの返答が、重苦しく空に散る。
「ああ、私は何と不運なのでしょう…
ドクター・ヘルが与えてくださった機械獣を、わけもわからぬ連中のせいで失ってしまった。
…あんな連中に『早乙女研究所に行く途中で迎撃される』とは!」
「…」
あしゅら男爵の嘆き節。
抑揚はまるで踊るがごとく、それは演劇、そう舞台上の俳優のような…
…ちょっと、やりすぎでは?
と思ったのだろうか、立ち尽くす鉄仮面兵たちがちらり、とお互い見やる。
しかしあしゅらの名口調名台詞は止まらないし、どうやらその目つきを見るにヘル様も信じ始めているようだ。
「相手がこちらと同数の戦闘ロボットを出してきたのが何より恐ろしい…
それほどその『百鬼帝国』なる連中は、相当な軍事力を持つ集団に違いない」
『うぬう…』
「…結果として、『早乙女研究所にはたどり着けなかった』のが口惜しいです。
兜甲児どもに対する人質を取れれば、マジンガーとの戦いで有利に立てたはずなのに…!」
『そうか…そのオーガの奴らもひょっとして早乙女研究所を?』
「どうやらそのようでした。我らがそれに抗しようとすると、問答無用でロボットによる攻撃を加えてきおったのです」
「…」
百鬼帝国なるオーガどもは、どうやら我々を敵と認定したらしい。
新たな敵の出現に、ドクター・ヘルの瞳が曇る。
「…我輩のグールも爆撃を受け、今現在、ようやく応急修理が終わったばかりです。
いったん帰還せねば、本格的な戦闘もできません」
『何?!グールまで被害を受けたのか…』
驚嘆の声を上げ、髭をさする老科学者。
ドクター・ヘルはしばらく黙考する。
光子力研究所「ではない」相手と交戦し、ミネルヴァダブルエックスを含むすべての機械獣を失ったあしゅら。
しかもその数4体、相当な打撃…
この男爵があまりに今回の作戦に自信満々であったことから、その成功を祈り預けた機械獣が皆全損とは!
その罪は重いに決まっている。
『…うーむ』
だが、かと言って、あしゅらを責めてもどうしようもない。
それに、こ奴と犬猿の仲であるブロッケン伯爵…
伯爵もあしゅらとともに共闘し(足を引っ張り合うのではなく!)、指揮艦機のグールも攻撃された、と証言している。
それぐらい凶悪な集団だった、ということか。
少なくとも、あしゅらが罪を逃れるために出まかせを言っているのではなさそうだ…
『…わかった。今回のことは責めることはできまい。
作戦が為らなかったのは残念だが…そのような恐るべき一派がおろうとは』
結局、そう判断せざるを得なかったドクター・ヘル。
いつものように失敗した部下を面罵することは止め、鷹揚にそう答えるにとどめた。
『急ぎ帰還せよ、あしゅら、ブロッケン。
ともかく今、そのわけのわからん連中にかまっておる余裕はない。
また新たな機械獣を作らねば…』
『はっ…!』
通信が切れる前のヘルの最後の台詞に、二人は慇懃な礼をした。
図らずも、仲の悪い二人の声はユニゾンして。


―そして、少しの間。
スクリーンも確実に暗転し、ドクター・ヘルとの通信が確実に切れたことを確認して…


にやっ、と、半男半女の怪人が、首なし騎士(デュラハン)に意味ありげに笑って見せた。
「ふん、貴様が口裏を合わせてくれるとは思わんかったぞ」
「…本当のことを言うわけにもいくまいよ」
からかいの色十分のあしゅらの揶揄に、伯爵殿は無表情なままで嘆息するのみ。
そう、本当のことなど言えるはずがない。
計画通りに誘拐は成功し、人質はとったものの…
光子力研究所に向かうその途中で百鬼帝国に攻撃され、あまつさえ、
「…ブロッケンさん、もういーい?」
「ああ」
…今、物陰に隠れて通信の様子を見ていた、その「人質」本人たち。
この本人たちもその迎撃に協力した、などと…
ぱたぱた、と出てきた元気とエルレーン。
先ほどの感想は、というと…
「あのおじいちゃんがブロッケンさん達の…じょうし、なの?
すっげえヒゲー!あれ顔洗う時に邪魔じゃないのかな?」
「それなのにすっごくからだがきんにくなの。ハヤト君みたい」
好き放題なことを述べている始末、ドクター・ヘルが聞いたらどう思うだろうか…
「小僧、小娘、待たせたな。さあ、お前たちを早乙女研究所に送ってやろう」
「!」
あしゅらの言葉に、二人の瞳が輝く。
そんな元気とエルレーンを見て、あしゅらは少しばかりすまなそうな顔をする。
「…とはいえ、さすがに研究所に近づくのは難しいからな。
そこから少し離れた場所にグールを着陸させる。
なに、お前たちなら研究所まで歩いていけるだろう」
「うん、ありがとう!…それに、これも!」
大きくうなずいた元気、何やら首元から取り出す―
革紐でつながれた蒼、あしゅらが渡した守護珠。
「ああ、そうやって身に着けておけ。
相当のことでなければ、1回だけはその石が身代わりとなって、お前を守ってくれる」
―と、ここまで言って、あしゅらはにやり、といたずらっぽく笑うんだ。
「まあ…我らのような『悪漢』がかどかわそうとするのも、どうやらお前にとっては日常茶飯事のようだからな!」
「やだなあ~、誘拐なんてもうごめんだよぉ!」
元気も陽気に笑い返す。何て悪趣味な冗談だろう!
「でも…」
けれど、そこであしゅらは思いもかけない言葉を彼から聞いた。
少年は少しだけ真顔になって、あしゅらを見返してこう言ったのだ。
「あしゅらさん、ブロッケンさんたちなら!また研究所に来たっていいんだからね!」
「!…ははっ!」
一瞬、ぽかん、として。
そして、その意味が分かって、男女半々の怪人は快活な笑い声をあげた。
…まったく、この子どもたちはどこまで豪気なんだ!
「それは謹んで遠慮させてもらおう…命がいくつあっても足らなさそうだからな!」
「…ふっ!」
笑むあしゅらの背後で、伯爵殿が多少その無表情を崩してしまう。
「では、ブロッケン。お前にこの艦の指揮権を返そう」
「ああ」
さあ。出発の時だ。
す、と身をひるがえし、あしゅら男爵が退く。
代わりに歩み出るは、ブロッケン伯爵。
「では、行くぞ!」
かつ、とブーツのかかとが硬い音を鳴らし。
首を右腕に抱えた異形の将校が、ブリッジの中央に立つ。
「飛行要塞グール、発進!早乙女研究所に向けて進路をとれ!」
再びグールの指揮権を我がものとした悪魔の支配者の命に従い、鉄仮面兵たちが動き出す。
「エンジン点火!」
「エンジン点火!」
俄かに騒がしくなるブリッジ、通信が機内中を駆け巡る。
どぅ、と、その身を震わせる飛行戦艦、エルレーンたちの全身を軽く揺るがして…
そして舞い上がる、全長200メートルもの巨体が蒼空へと―!
「飛行要塞グール、発進!」


そうして、こちらは早乙女研究所。
広い格納庫、銀色に鈍く光る床、そのなめらかな表面にいきなり乱雑な大穴。
ぽっかり開いたその穴の向こうには、土くれとゲッターライガーがぶち抜いたであろう細長いトンネルが延々と…
「三人とも、血相変えて光子力研究所に行ったわけだけど…帰ってこないねぇ」
「俺たちも一応止めたんだけど、『普通に空へ発進したら奴らにバレてしまうんです!』っていうからさ、」
「何かの秘密作戦だって思ってたんだけど…」
その穴を背景にし、口々に言うメカニックたちの表情は微妙なもので。
ゲッターチームの突然の行動に面喰らったままの彼らに、話を聞くミチルもまた、眉を顰めるばかり。
「うーん…」
こんなことまでして、隠れて光子力研究所に行かねばならなかった。
それは元気とエルレーンが誘拐されたからだ、という。
しかし、その当の元気から「友人宅に泊まる」と電話があったのだ。
友人の多い元気には、友達の家に泊めてもらうことはよくあることなのだが。
しかし…
「…一応、まあ…機器とかは破壊されてはいないからさ、もう修理は始めていいよね?」
「あっ…はい、多分」
「一体、いつになったらリョウくんたちは戻ってくるんだろうねぇ?」
ミチルの生返事を聞きながら、頭をひねりながらもメカニックたちは大穴を埋める作業に入る。
ぽつっとこぼした彼らの疑問に、彼女は当然答える術もなく。
「…???」
何一つ状況が把握できず、同じように頭をひねるミチル。
遠い空の下、光子力研究所内でもリョウたちゲッターチームと甲児たちが困惑したまま動けなくなっていることなど、彼女にはまったく思い至らないのであった。

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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~delicato~

「…はっ?!」
いつの間にか閉じていたまぶたが反射的に開くなり、眼前に白い視界が開けた。
がばっ、と身体を起こした時に、ようやく自分は人事不省になっていたことに気づいた。
窓からさんさんと差し込む日の光は、目映い白。朝の白。
そうだ、ここは光子力研究所。その応接間。
自分はそこで不測の事態に備えていたはずなのだが…
見かねた誰かがかけてくれたのか…半身を覆っていた毛布が、ずるり、と、床にしなだれる。
「おお、起きた?リョウ」
「…俺、寝ちまってたのか」
まだ清明でない意識を無理やり振りたてれば…自分が不覚にも寝くたれていたソファの周りに、仲間たちの姿。
甲児やさやかが、自分を心配そうに見返してきている。
ハヤトやベンケイも、多少憔悴しているようだが…それでも、薄い笑みを浮かべられるまでには、まだ余力があるようだ。
「安心したまえ…何も起こってはいないよ、今まで」
「そうですか…」
弓教授の穏やかな言葉に、胸をなでおろす。
自分が寝こけている間に敵の襲撃などがあろうものなら、それこそ馬鹿丸出しだ。
「…」
…だが。
そもそも、襲撃があろう、というなら。
何故それが昨日のうちに来なかったのか?
いや、何よりも、元気とエルレーンをさらった当のあしゅら男爵から次のメッセージもないのは何故だ?
さらわれたはずの元気からミチルが受けた電話、元気ちゃんは一体何故そんなことをした?
何故、何故、何故―?
「一体…」
昨日の夕刻、ミチルからの通信を受けて以来、脳内をぐるぐると空転し続ける問い。
リョウの口から、苦悩にまみれてこぼれ落ちる。
「一体、何なんだろう、これは…?」
「さあ、な…」
首をかしげる甲児。
「ともかく…相手の次の出方をうかがうしかねえな」
「ああ…」
結局、彼らは「待ち」でいるしかない。
だが、いつまで「待て」ばいいのか?
今日?明日?それとも…?
何が起こるかすら、もう想像もつかない。
いや…このまま、何も起こらなそうな気すら湧いてくる。
「とりあえず、シャワーでも浴びさせてもらったら?ひでえツラしてるぜ、リョウ」
「…そうする」
だから、さすがのリョウも、少しこころが折れてしまったのか。
ベンケイの言葉に、憂鬱気にうなずいて。
無理な態勢で寝落ちしたせいで痛む身体をぎしぎしと無理に動かして、大儀そうに立ち上がった。


夜は当然こちらでも去り、朝は長野の山にもやってくる。
「え、お姉ちゃん…ほんと?」
「うん」
さて、こちらは飛行要塞グール・食堂。
己の分身が終わりの見えないスタンバイ状態に消耗しきっていることになど、露ほどにも思い至らぬエルレーン。
元気にこくり、とうなずいて、コックのレアルコス得意の朝食メニュー・目玉焼きの残りを口に放り込んだ。
よく噛んでから、こくん、とそれを飲み下し、にこっと笑って、こう言って見せた。
「グールのしゅうり、お手伝いに行こっかな、って」
「へえ…」
「いいのかよ?てゆうか、人手はあった方が助かるけどさあ」
「お客様にそんな仕事をしていただくのは、ちょっと申し訳ない気が…」
ルーカスとグラウコスも彼女の申し出にちょっとびっくりしているようだ。
破損した機械の修理なんて言う泥臭い仕事に、こんな少女を借り出していいものか、と。
しかしながら、エルレーンはきゃらきゃら笑って(大して大きくもない)胸を張る。
「いーの、っ。私、キカイとかとくいだよ?お手伝い、したいの」
「そうなん?そりゃ、ありがたいけど!…じゃ、修理班の連中に連絡しとくぜ」
苦笑いしながら、通信機でルーカスは格納庫にいるらしき仲間に連絡する。
…と。
何やらまごまごしている元気、困ったように問いかけた。
「で、でも、その間…僕、どうしよう?」
「この人たちにあそんでもらったらいいよぉ」
が、むべなるかな。
あっさりと首をふる下っ端兵士たち。
「あ、悪ぃ、それ無理」
「申し訳ありません、私たちは勤務シフトが入っていまして」
「えー?!それじゃ僕、一人ぼっちで待ってないといけないのー?!」
瞬時におもりを断られた元気、不平不服の声をあげるも…
哀しいかな、兵士の彼らはやることがあるのである。
休暇中、でない限りは。
「しゃあねーじゃん、お仕事なのよ俺たち。あー辛いわー」
「お部屋でゆっくりしていてください」
「ちぇー…」
いきなりひとりで放置されることが決まってしまった元気が不満げな唸り声をあげる。
しかし、文句を言ったところで二人の仕事がなくなるわけでもなし。
かと言って、エルレーンについていっても、自分は修理の手伝いをできるわけでもなし…
「そんじゃなー、俺たち頑張ってくるわー」
「シフト終わったらまた来ますねー」
「はーい…」
グール修理にとエンジンルームへ向かうエルレーンを見送り、部屋まで送ってくれた二人を見送り。
ぽつん、と広い部屋にひとりきりになった元気。
当たり前だが、戦艦に子供が喜ぶような遊び道具があるはずもない。
「…」
手持ち無沙汰にベッドに転がってみるも、いいベッドでしっかり睡眠をとったのだから眠気の欠片もなく。
小一時間ほどは、無駄にぽよぽよベッドの上でごろごろしていたものの…
「…!」
何やら、ぱっと表情を変える。
がばり、とベッドから飛び出した元気は、ばたばたと勢いよく廊下に飛び出した。


最早勝手知ったる、といった様子で、グールの通路を駆けていく。
時々通りすがる鉄仮面兵や鉄十字兵に笑顔であいさつし。
で、時々彼らに目的地の場所を聞いたりして。
まっすぐ、曲がって、またまっすぐ行って…
そして、彼がたどり着いたのが、ここである。


..."Captain's Cabin".


「?!…こ、小僧?!」
「あっ、ごめん、シャワー浴びてたの?」
がっちゃっ、と、出し抜けに開いた扉に、さすがに常日頃無表情気味なブロッケンの顔色も変わる。
シャワーブースから出てきたばかりだったのか、タオル一枚をまとった姿。
ぽたぽた、とこぼれる水滴が、床にてんてんと丸い跡を作る。
自分にとてつもない無礼を働く子どもにブロッケンはあっけにとられたのか、思わず無言…
しかし元気はあっけらかんとしたものだ、あっさりこう言って笑うだけ。
「ごめんごめん!着替える間、外に出とくよ」
「…」
あははと笑いながら、元気は再び扉を閉める…
ばたん、という音とともに、そこには唖然となってしまった伯爵殿だけが残される。
いきなりすぎて、あまりに唐突すぎて、反射的に怒鳴り返す言葉すら出てこなかった。
「…」
やにわ、乱暴にタオルで身体を拭い、髪の水滴を取り去る。
椅子に引っ掛けてあった下着に軍服のズボン、それに白いシャツを身にまとう。
伯爵の最低限の身支度がちょうど終わったところで…
「ねーえ、もういーい?」
「…はあ」
どんどん、と乱暴なノックとともに、大声が木製の扉を貫いた。
あの小僧はどうあってもこの部屋に入りたいらしい、こちらが取り込み中なのは明らかにわかるはずなのだが…
いや、そういうことを察せないのが、子どもというものか。
昨晩の森でのやり取りに続いてのこれ。
ブロッケンは、不本意にも…「このガキどもはこちらの命令など聞かない、抗弁してもより面倒くさいことになるだけ」ということに慣れつつあった。
誠に不本意ではあるが。
はあ、と、ひときわ大きいため息をついて、軽く肩をすくめ。
椅子に座り込み、はあ、とまたため息を繰り返す。
「わかった…入れ」
「はーい」
あきらめの声を上げれば、元気がすぐさまに部屋に入り込んでくる。
あっけらかんとしたその様子からは、先ほどの非礼を恥じている風すらない。
「小僧…お前の家には、ノックをするという習慣はないのか」
「ああー、それお姉ちゃんにいっつも言われる!つい忘れちゃうんだよねー」
「…」
十分に皮肉の色を込めたつもりの台詞ではあったが、子どもにはまったく通用しない。
悪びれもせず、けろっとそう言ってけらけら笑うだけだ…
…伯爵の口から、いろいろあきらめた嘆息。
「…で、何の用だ」
その嘆息の最後に、投げやりに問いかける。
「あのね…」
…と、言いかけた元気の視線が、ある一点で止まった。
気だるそうにテーブルに投げ出された、ブロッケンの右手に…
その右手、そこに在ったそれは、元気の興味と好奇心を十分にひきつけた。
元気は、そのことについて問うことに、何の躊躇もしなかった。
タブーであるかもしれない、とすら思いつきもしなかった。
そのような配慮が出来るはずもない、彼はまだ「子ども」なのだから。
だから、彼はその残酷な質問をストレートに伯爵にぶつけた…
「ねえねえ、ブロッケンさん?」
「…何だ、小僧?」
「ブロッケンさんって、結婚してるの?」
「…!」
元気の言葉を聞いたその一瞬だけ、ブロッケンの表情が動揺で強張る。
が、すぐにそれを押し隠し…無表情で押し隠し、問い返した。
「…何故、そんな事を聞く?」
「えー、だって、ほら…け、結婚指輪、してるみたいだから…」
「…」
そこまで言われて、彼本人もようやく気づいたようだ…
そう、今彼は、いつもしている白い手袋をしてはいない。
シャワーを浴びる際に外したまま、つけていなかったのだ。
ブロッケンが口をつぐんでいるうちにも、元気は元気で勝手に推察を進めている。
「あ、でも…右手だから、それって結婚指輪じゃないね。婚約指輪…だっけ、右手は」
「…日本では、そうなるのか?」
「え?」
「…我輩の国では、右手の薬指にするのが『結婚指輪』と相場が決まっているがな」
「え、それじゃ…」
元気の言葉に、ブロッケンは微妙な表情を見せた。
ほんの少し、間があいた。
「…」
黙り込んだ、伯爵殿。
怒っている、というよりは、惑っている、ような表情で。
「…?」
「…今は、」
ようやっとのことで絞り出された声は、少し震えているようで。
「もう、」
一言、一言に、長い空白。
「会えない、相手…だがな」
そう言って、軽いため息でその弱々しげなセリフを締めくくった。
「…」
「…」
「…」
ブロッケンは答えた。
叱るでもなく、怒鳴るでもなく、ぶしつけな子どもの問いに、彼なりに誠実に。
…元気は口をつぐんでしまう。
理解したからだ。
元気は、やっと…自分のとった軽率な行動を、後悔した。




間。
空調の音だけが、かすかに低くうなる。




「…それより、何の用でここに来た?」
「あ、っ」
気まずい空気を押し流すようにもしくは先ほどの自身の発言を押し流すように。
唐突に投げ込まれた質問に、元気ははっ、とここに来た目的を思い出す。
「鉄仮面と鉄十字のお兄ちゃんも仕事に行っちゃったし、
エルレーンのお姉ちゃんもグールの修理に行っちゃって、僕一人ぼっちなんだ」
「…それで?」
先を促すブロッケン。
しかし、その次に小僧の口から出た言葉も、また彼をひどく面喰わせる。


「だから、ブロッケンさんに遊んでもらおうと思って!」
「…」


「…何故、我輩がそんなことを」
今度こそ、はっきりと鉄面皮の伯爵の表情が困惑に歪む。
だがそう言ったものなど歯牙にもかけないのが、子どもというものである。
「だってぇ、ブロッケンさん…最初に会った時に言ってたよ?
『休暇中』だって」
つまりは、ブロッケンも自分と同じ…
「夏休み」中なのだ。
「だったら、他の人たちと違って暇なんだよね?
いーじゃん!一緒に何かして遊んでよ!」
「小僧…お前…」
「みんな働いてるのに、ブロッケンさんはここにいるってことは…
ブロッケンさんも暇なんでしょ?そうでしょ!
じゃあいいよね、僕と遊んでよ!」
「…」
やっても無意味なことは、繰り返す意味がない…
合理的判断は、正しいながらも面倒なことを彼に強いる。
不承不承、彼は…うるさい子どものリクエストに応えざるを得ない。
そう、昨夜と同じく。
「…」
机から何かを取り上げ、無言でテーブルの椅子を引き、どかり、と座り込む。
無言で元気にも座れ、と目で示す伯爵。
ちょこん、とブロッケンの向かいの椅子に座った元気に、気だるそうに彼は言う。
「…さすがに、カードくらいはできるんだろうな」
「かーど?何の?」
きょとん、となる元気。
カードゲームと言ってもたくさんある。
カルタ?UNO?花札?
だが、一般的に、「カード」と言う単語があらわすものと言えば…世界的にこれだ、と決まっている。
テーブルにぽん、と放り投げられた小さな箱とそこに書かれているマークを見ると、元気の目にぱっ、と光がともる。 
「ああ、トランプ!」
「ポーカーでいいだろう」
「えっと、数字とかマークあわせる奴だよね!いっぺん家でやったことある!」
やはり無表情気味なまま、元気の向かい側の椅子に座り。
カードケースからデックを取り出し、それをよく切りながら言うブロッケンに、うれしそうにうなずく元気。
チップ代わりに、テーブルの小箱からキャンディを転がして、分配して。
ブロッケンによって交互に配られたカード、全部で5枚。
さっそくカードを手にする元気、意気揚々とポーカーに挑む。
…が。
「えーっと、マーク全部そろえるのと、数字が同じの三つの作るのって、どっちが上だっけ?」
「…マークがすべて同じの、フラッシュだ」
「そうなの!じゃあ、これとこれを交換、っと…」
「…」
どうやら、ポーカーを「やったことがある」とは言っても、ルール自体あやふやのようである。
元気はカードを2枚交換、山札から新しいカードを引くなり…
「ああん!欲しいのこれじゃないのにー!んもー!」
「…」
まあ、素直でまっすぐな小学生の子どもに、ポーカーは土台無理である。
考えも作戦も口から表情からだだもれ。
駆け引きを楽しむどころか、まともなゲームにもなりはしない…
「ポーカーフェイス」などといったものとは全く無縁の元気の反応に、伯爵は…無言で目を伏せ、ため息をつくばかり。
だが始めてしまった限りは仕方ない、数戦やって納得して帰らせよう…
ぽい、と3枚カードを捨て、彼も新しくカードを引く。
…と、その時。
こんこん、と、扉が鳴り。
がちゃり、と開いた扉から、ワゴンを押す鉄十字兵の姿。
「ブロッケン伯爵、ミネラルウォーターをお持ち…え、ええっ?!」
静かに部屋に入ってきた兵が、調子っぱずれな驚嘆の声をあげる。
「あ、その声、ルーカスさん?」
「てゆうか、ちょ、おま、ゲンキ…」
「それ、僕の分ってある?僕も欲しい!」
「おい、あの…」
ルーカスに気づいた元気、笑いながら自分にも飲み物を要求。
同様あらわな彼のもの言いたげな顔にもちっとも気づかず…
「…鉄十字、用意しろ」
「あ、は、はい…」
「ありがとー、ルーカスさん!」
ブロッケンはやはり面倒くさそうに、「そいつの言うとおりにしてやれ」と促してくる。
主がそう言うのならそうするほかない、ルーカスは元気の分もグラスに水を入れてやる…
「そ、それでは私はこれで」
「うん!またねー!」
「…」
この場の奇妙な空気に耐えかねた下っ端兵士の彼は、「何故元気がここにいるのか」と問うこともせず。
一目散にこの場を逃げ出したい、とばかりに、口早にそう言って二人から後ずさる。
お気楽に手を振ってくる元気、気だるそうに遠い目をしている伯爵。
ドアが閉まる瞬間、こんな会話が聞こえてきた…
「はい!僕、ツーペアー!」
「…フラッシュ。我輩の勝ちだ」
「えー?!何でぇー?!」
ばたん、と扉を後ろ手に閉めるなり、ルーカスの口から一気に安堵の吐息が漏れ出た。
今見た光景がとても信じられず、ついつい目をしばたたかせる。
自分たちが手いっぱいだからといって、独りでは退屈だからといって…
だからと言っても、まさかこんな手段に出るとは。
(げ、ゲンキ…あいつ、マジすげぇわ…)
まさか、あの地獄の鬼将校・ブロッケン伯爵を遊びにつきあわせるとは…
まさか、その子どもの我がままにあの悪夢の支配者・ブロッケン伯爵が黙って付き合っているとは…
「いやあ…すげえもん見たわぁ…」
驚きのあまり、率直な感想が思わず口をついて出てしまったルーカスであった。

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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~ritardando~

夜の時間は、ひたひたと止まることなく進んでいく。
星が音も無くきらめく。彼の演奏の邪魔をせぬように。
森の中。少年と少女が見守る中。
機械仕掛けの伯爵は、ヴァイオリンを奏で続けている。
Grave, Fuga, Allegro...
―と。
「…すう」
「!」
旋律によって、穏やかな眠りの世界に導かれてしまったようだ。
かくん、とうつむいた元気の呼吸が、いつの間にか規則正しい寝息になっている。
「元気くん、寝ちゃった…?」
「…」
元気の頭をなぜるエルレーン。
ブロッケン伯爵も、ヴァイオリンを鳴らす手を止める。
…小学4年生には、そろそろ起き続けているのは辛い時間帯だ。
「もう夜も遅い。小僧を連れて戻れ、お嬢」
「ブロッケンさんは…?」
「我輩は、もう少しここにいる」
エルレーンに短く命じたなり、ふっと顔をそむける伯爵。
そうして、また演奏を再開せんと弓を掲げ―
ようとした手が、ぴたり、と止まる。
伯爵の黒い瞳が、今一度、少女を射る。
「…そうだ、お嬢」
「なあに?」
「さっき、我輩が、お前に話したことは…」
何のことか、とは、あえて言わず。
感情の表れない仮面が、抑揚のない声で言い放つ。
「…我輩と、お嬢の間だけの秘密だ。他の奴には言うなよ?」
「う、うん…」
だが、その口調は淡々としていても、眼光の鋭さがエルレーンに二の句を継がせない。
無言の脅迫に命じられるまま、少女は首肯するしかなかった。
…彼女のその様子を見届け、ブロッケンはまた彼らから視線を外す。
やがて、空気を震わせるヴァイオリンの静かな音色が、再び森の木々の間に響き始める。
バッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番。Sarabande.
見えぬ音符が踊る。闇の中でひらめく。
「じゃあね…おやすみなさい、ブロッケンさん」
「…」
演奏に集中しているのか、それとも意図的な無視なのか。
エルレーンの言葉に、伯爵は目線すら投げず。
…仕方なく、少女は、彼の邪魔をせぬよう…眠る元気を起こさぬようそっと背負って、静かにその場を去った。


ざくっ、ざくっ。
飛行要塞グールに向かう足音が、草むらを踏む。
そのリズムに乗り、ゆらゆら、揺らめく少女の背中。
…やがて、少年も、その動きに目を覚まされる。
「う…ん」
「!…元気くん、起きちゃった?ごめんね」
もぞり、と動いた少年に、思わず足を止めるエルレーン。
元気は、気づかないうちに世界が変わったことに少し驚きつつも、まだ眠りから覚めきれず、ぼやんとしている。
「グールのお部屋に帰って…しゃわー浴びて寝ようね、元気くん?」
「あれぇ…ブロッケンさんは?」
「まだ、ばいおりん弾いてるって」
「ふーん…」
ぽやぽやと生返事を返していたものの、自分たちを包む夜の空気で少しずつ目がさえてきたようだ。
突如、はっ、となる元気、自分がエルレーンに背負われているのだと、ようやく気付く。
いい年をして背負われて運ばれてるなんて、何だか恥ずかしい…
まだまだ幼いのにそう思ってしまう自負もある、微妙なお年頃の小学4年生。
「ごめん!自分で歩くよ、僕」
元気は慌ててエルレーンの背から降り、さくさくと自分の足で歩きだす。
エルレーンも軽く笑み、彼の隣に立って歩きだす。
さくさくさく、ざくっざくっ。
夜の森に、刻むリズムの違う二つの足音が輪唱する。
「…ねえ、お姉ちゃん」
「なあに?」
足を止めないまま、前を見つめたまま、元気が呼びかける。
「今日のこと…お父さんやお母さん、リョウさん達には…言わないほうが、いいよね?」
「…」
「言わないほうが、いいんだよね…?」
―さくっ。
立ち止まる。元気が、エルレーンの顔を見上げる。
だから、エルレーンも、立ち止まる。
答える。
「…うん、そうだね」
少し哀しげに、その答えが空に散っていく。
「鉄仮面のグラウコスさんも、鉄十字のルーカスさんも、…僕らに、自分たちのこと、忘れろ、って言う」
一旦、間。


「けどさ…僕は、」
「うん」


「何だか…何だか、それは、嫌だな、って、思うんだ」


元気が発した言葉は、戸惑いに満ちあふれていた。
それでいながら、彼はそれを強く望んでいるようでもあった。
さわさわ、と、風が弄っていく木々の葉が、軽い驚きと非難の声をあげる。
エルレーンは、一度だけ瞬きして…早乙女元気を、見つめている。
「…おかしい、かな?」
「…」
自分でも、自分の発言がまともなのか、そうでないのか、まだ小さな元気にはわかりかねて。
少女に問うも、彼女もわずかに惑っていた。
そうして、またいくらかの間をおいて。
「…ううん」
彼女も、元気と同じだと告げる。
「私も…おかしくない、って、思う…よ」
すうっ、と、少女の目が、夜空に持っていかれる。
星空。無数に瞬く、幾千の星。
「忘れない。忘れられない。…忘れたく、ない」
「うん」
煌めく星の中に、彼女は誰の残像を見たのだろうか?
恐竜帝国によって造られた彼女の生は、短くとも、多くの哀しみに彩られてきた。
知らないほうがよかった。忘れたほうがいい。
けれども。
それが出来ないから、「人間」は…苦しい。
「だから…リョウたちには、ないしょ。そんで…」
ならば。
ならば、いっそのこと。
忘れずにいればいい。
その記憶を抱きしめたまま、その想いに刺し貫かれたまま、血を流せばいい。
きっと、元気も、いつか…
愛する者の間で苦悩し、こころが引き裂かれるような思いをするのかもしれない。
それは、かつての自分がそうだったように。
「私たちだけの、秘密にしよう…ね?」
「うん…!」
その時は、自分も。
自分も、彼と一緒に苦しみ、同じ重荷を分け合おう。
決意を押し隠した微笑を浮かべた少女が、少年にささやく。
少年はその真意を読み取れず、朗らかに笑う。
綺羅星がさざめく、静かな夜だった。


グールまで帰り着いた二人。
与えられた部屋にてくてくと歩いていくさなか…
「!…そうだ」
何やら、思い出したのか。
出し抜けに、目をぱちくりとさせるエルレーン。
「?どうしたの、お姉ちゃん?」
「ちょっと、やらなきゃいけないこと、思い出した…」
聞く元気に、にこり、と笑みを一つ投げ。
「元気くん、先にしゃわー浴びてて、ね」
「えっ、どこ行くの?」
「うん、えへへ…」
それだけ言って、何処かに行こうとする。
ぽかん、となる元気の問いにも、微笑みでごまかして。


そうして、彼女が向かった先は。


「あしゅら様ですか?ご自身の部屋にもう戻られましたよ」
「どこの部屋?」
「あちら、角を曲がって…一番端の扉です」
廊下ですれ違った鉄仮面兵に問うと、彼はすでに艦橋(ブリッジ)から自室に戻ったらしい。
彼にその部屋の場所を聞き、そちらに向かう。
長い通路を歩いて、歩いて、指示された角で曲がって…
さらに歩いて、歩いて、歩いて、一番端にある部屋の前。
扉のノブに手をかけると、施錠されていなかったドアはがちゃり、と容易く開いた。
開いた扉の先、エルレーンが見たものは…
「?!」
「?!…小娘?!何の用だ!」
…一瞬、エルレーンの目が点になる。
室内にいた人物は物音に振り返り、ノックもせずに入ってきた闖入者に非難と驚き半々の声をあげる。
だが、それは一体誰だ…?
そこにいたのは、女性。
足首までありそうな丈の長い、袖のない白い衣服を身にまとっている。
女にしてはかなりの長身、だが身体つきは引き締まり、頑健さすら見て取れる。
金色の髪を後頭部で一つに結った、この蒼い瞳の印象的な女…
美女、と呼んでも一向に差し支えはない、整った顔。
華やかさ、力強さ。その両者の共存。
嗚呼、だが、しかし…
今までこんな女性を、鉄仮面兵と鉄十字兵tばかりがうろつくグールでは見かけもしなかった。
一体、この飛行要塞の何処にいたというのか?!
そして何故、あしゅら男爵の部屋にいる?!
「えっ…えっ?!だあれ?!」
「…私だ」
混乱する少女を前に、軽く眉をひそめたその女。
事も無げに、短くそう答えた。
頭上に大きな「?」マークを浮かべたままのエルレーン、困惑気味に彼女を見返す。
だが、よく考えれば当たり前のことだ…
エルレーンは、その人に会うためにこの部屋に来たのだから。
だから、ここにいるその金色の美女、その正体は…
「…あしゅら、さん?」
「そうだ」
うなずくその女は、やはり…あしゅら男爵、らしい。
「魔力を練るには、この姿のほうがやりやすいのでな…何故か」
「あしゅらさん、変身とかできるんだ…すごいねえ!」
どうやら、彼は自らの見た目を変えることができるようだ。
そのあまりの変身ぶり、不可思議な能力に、エルレーンは目を見張るばかり。
「…そう言えば、あの女の人…森で私たちに声かけてきたあの人も」
「そうだ、私だ」
「へーえ…!」
思い返してみれば、早乙女研究所近くの森で拉致された時…自分と元気の前に現れたのも、女性だった。
姿かたちを変じることなど、男爵にとっては造作もないことらしい。
あしゅら男爵の異能力に感嘆の声をあげるエルレーン。
―と。
少女の表情が、ぱっ、といたずらっぽいものに変わる。
「じゃあね、じゃあね!…私、とかにも、変身できるの?!」
「ああ…やって見せようか?」
「うんッ!」
興味本位な少女の問いに、「お安い御用だ」とばかりに笑む、金色の女。
軽く手を空中にひらめかせ、瞳を閉じ、集中して、
「よかろう…ふッ!」
「!」
気合一閃!
瞬時、彼女の全身が金色の光で包まれる、その眩さにエルレーンは耐えきれず目を閉じる。
そして、彼女が再びまぶたを開いた時、眼前に立っていたのは―
「…!」
「ふふん…!どうだ?」
不敵に笑む、自分自身!
少しくせっ毛の髪、透明な瞳、しなやかでスレンダーな身体。
「わあぁ…すごい!すごいのぉ!」
「ふふん…」
素直で率直な称賛の言葉に、調子に乗りやすい怪人は至極ご満悦の様子だ。
きゃらきゃら喜ぶエルレーンと、腕を組んで満足そうに鼻を鳴らすエルレーン(もどき)。
と、さらに少女の要求はエスカレートする。
「…ねぇ、ねぇ!じゃあ…『ぼいんちゃん』な私とかにはなれないの?!」
「…はあ?」
…それも、よくわからない方向に。
どうやら、姿はこのまま、胸だけ大きくしてみろ、ということらしいが…??
当惑を隠さないエルレーン(もどき)に、なおもエルレーンは言い募る。
「『ぼいんちゃん』の!『ぼいんちゃん』の私!」
「…随分こだわるな…まあ、構わんが」
何度もその単語を連発してねだるものだから、もどきも首をひねってはいたが…
彼女のご希望通りの姿に変わって見せた。
金色の光がまたエルレーンの目を焼き、そしてその光が失せると…
「…!」
「こんなものか…?」
「わぁぁぁぁい!わぁぁぁぁい!『ぼいんちゃん』の私なのぉ!!」
たゆん、と、重たげに揺れる、二つの双丘。
黒いバトルスーツ、その胸には、本物の彼女にはない大きな盛り上がりが生まれ、その胸乳の間には深い谷間。
細身の身体に対して胸部だけがやたらと派手に目立っているという、アンバランスで肉感的な姿。
目の前に出現した自分の夢に、エルレーン、まさに狂喜乱舞。
飛び上がって喜ぶ様子に、もどきは困惑気味だ。
「…うれしそうだな」
「すごい、すごいの…こんなに、おっぱい、おっきく、て…」
「?…どうした、小娘?」
「…っく…ひいっく、うううッ…!」
「えっ、泣いてる?!」
が、まあ。
自分の理想を具現化した姿を目の当たりにしてしまえば、ひるがえって、そうではない自分の身が哀れに見えてきてしまうもので。
己の胸のぺたんこさを改めて自覚させられたのか、哀しくなってしまったらしいエルレーン…いつの間にやらぺそぺそとしゃくりあげている。
「うぐっ、えぐっ…ほ、ほんものは、いつまでもっ、ちっちゃいままなのに…いっ」
「こ、小娘…あまり気に病むな。気に病めば、大きくなるものもならんぞ」
「…うええっ、っく…!」
一方、何だかよくわからないことを言われ、何だかよくわからないうちに泣き出す少女を前に、困ってしまっているあしゅら。
やはりよくわからないうちに、しくしく泣くエルレーンを慰める…
「そ…それよりも、だ。…こんな夜中に、私に何の用だ?」
「あ…」
再び、長身の女性の姿に戻ったあしゅら。
やや低いアルトの声が、来室の意図を問う。
そこでやっとエルレーンは本来の目的を思い出したのか、慌ててごしごしと目をこすり。
改めて、あしゅら男爵に向き直り、告げた。
「えっと、ね…ありがとう、言いに、来たの」
「?」
男爵殿は、礼を言われる理由に見当がつかぬらしく、少し片眉を上げたのみ。
少女は、少し照れたような顔で、金色の女を見つめて、言う。



「私を、叱ってくれて、ありがとう…」



「あの時。あの攻撃を、受けた時」

「あしゅらさんは、言ってくれた…思い出せ、って」

「だから、思い出せた。
私の『母親』は、『おかあさん』は…」

「ルーガは、そんなこと言わないって、思い出せたの」



「だから…ありがとう、あしゅらさん」
「…ふっ」
エルレーンの感謝の言葉に、蒼い瞳が微笑んだ。
「当たり前だろう?…そうでない『母親』がいるとは思いたくない」
それは、断言に近かった。
いや、むしろ…それが必然であるかのように、彼…いや、彼女は言うのだ。
あしゅらはあの時言った、「我が子を黄泉の世界へ『連れて行こう』とするような『母親』がいてたまるか」と。
あしゅらはあの時言った、「お前の『母親』はそんなことを望みはしなかったはずだ」と。
その言葉がエルレーンを死の幻惑から引き戻し、彼女を救った。
今彼の口から出た言葉も、その時と同じ強さを持っていた。
「…あしゅらさんも、」
だから。
だから、少女は…ふと、思ったのだ。
「あしゅらさんも、もしかしたら…『おかあさん』なのかな?」
「?」
強固な信念をもってそれを語れるのは、彼自身も以前は「母親」だったからではないか?
そんなエルレーンの素朴な思い付きに、あしゅらは目を軽く見開く。
「えっと、なんか…そんな、気が、した」
「…ふん、そうかも…な」
くすくす、と、おかしそうに笑う。
「そうだな。そうだったのかも知れぬな?」
金色の絹糸が、彼女の笑いに合わせてきらきら揺れる。
蒼い瞳の美女は、軽くうなずきながら、顔をほころばせる。
「私が、『あしゅら男爵』として意識を取り戻した時も。
何故か…この姿には、自然に変身できた」
「へえ…」
「これが、きっと。私の本来の姿なのかもしれぬ」
軽く首を傾げれば、ポニーテールに結われた金色の髪が、しゃらん、と鳴る。
蒼い瞳をまたたかせ、あしゅらはふむ、とあごに手をやり。
「そうだな…」
また、嘆息。
少女の言葉を、噛み締める。
「私たちが、生きていたころ…私たちには、『子ども』がいた…そんな、気がする」
あいまいな言葉。だが、そこにこもるのは、確信。
自分は「母親」であったと(そして「父親」であったと)、愛する「子ども」をもっていたはずだ、と。
数十年、数百年、どれほど以前のことかすら定かではないし、わかりようがなくても。
それどころか、確信に至らせるまでの記憶の欠片、それすら見いだせていなくとも…
「まあ…貴様のような、行儀の悪いわがまま娘でなかったことを祈るがな?」
「む、むー!」
「はは、何にせよ…そのあたりもまったく思い出せぬのが口惜しいな!」
あしゅらの軽口にむくれる少女に、にっ、と笑みを投げてみせる。
やはり、彼はけろり、としている。異常なほどに。
記憶を失っていることに対しての苦悩も、狂乱も、鬱屈もなく。
元々深く考えない性質なのか、それともそれは、二つの魂が一つの肉体の中で混在し混線してしまったための障害なのか。
「だが…それでも、少しだが覚えていることもある」
ふと。
蒼い瞳が、にわかに真剣みを帯びる。
「魔法もそのうちのひとつだ」
「まほー?」
おうむ返しに繰り返す少女に、うなずいてみせる。
魔法。
この世界においては、幻想小説(ファンタジー)にしか存在しない、科学の範疇を超えた神秘の技。
エルレーンにとっても、それはただの想像やお話の出来事としか思えなかったが…
「そうだ…とはいえ、それに関する記憶も、あまり多くは思い出せていない…
当然、私の魔力もまだそれほどには高くはない。
軽い傷を治す、小さな炎を生む程度が今の限度だ」
「あ…」
そう言えば、百鬼帝国との戦闘中に出来た額の切り傷…
あしゅらが手をかざし何かをつぶやいた途端、それが跡形も無く癒えたことを、少女は思い出す。
…あれが、彼女の魔法、なのだ。
「しかし、そんな乏しい魔力でも…練り上げれば、護符のひとつくらいは作れる。
身を護るための宝珠…戦士を護るモノ、それに、例えば」
歌うように、何処か芝居じみた言い回しの台詞を口にしながら。
あしゅらは水晶のそばに置かれたモノを取り上げる。
そうして、ちらり、と、茶化すような、からかうような視線をエルレーンに投げる。
「例えば…『死にたがり』の小娘を護るモノ」
「し…え、ええっ?」
「…だから、お前にはちょうどいい」
あしゅらの発した強い言葉に目を白黒させるエルレーン。
彼女の困惑を意に解することもない金色の髪の女性は、何やらうそぶきながら…少女の眼前に、それをぶら下げて見せた。
「つい今しがた、完成したばかりだ」
「…?」
「今回の詫び…というわけではないが。お前と、小僧にこれをやろう」
そう言いながら、エルレーンに差し出してきたモノ。
革紐が通された、コインほどの大きさの…碧く煌めく石。
エルレーンと元気の分、ひとつずつ。
光を吸い込み、妖し気に違った色の光をはじき返している。
「わあ…きれいだねえ!これ、なあに?」
「これは、一種の守護珠だ。私の魔力を込めてある…
身に着けていれば、何らかの生命の危機が迫った時、一度だけ身代わりとなってくれるだろう。
…まあ、限度というものはあるが…たいていの攻撃なら、宝珠が受けとめ、代わりとなって砕け散る」
きらきらと輝いて揺らめくその碧い石に、少女のこころが吸い込まれる。
こんな小さな石にそんな力が込められているとは…
「へえー、ばりあみたいな感じ?おもしろーい!」
「以前から魔力を少しずつつぎ込んできた、作りかけのものだったが…やっと先ほど二つ完成した。
…やれやれ、久々に魔力を酷使したぞ!」
少女の反応に気をよくしたのか、明るく製作の苦労を語ってみせるあしゅら。
どうやら、先ほどからこれを作るために、金色の髪の女性の姿に為っていたようだ…


「小娘」
刹那。
その表情がにわかに変わり、真剣なものとなる。
見据える。
透明な瞳の少女を。
あの、鬼神のような荒ぶる戦いぶり。
恐竜帝国の「兵器」。
「母親」の幻影に惑わされ、黄泉路に片足を踏み入れようとした「子ども」。
―目の前の、「死にたがり」の少女。
「ブロッケンは言っていた…あれは、強力な催眠のようなものだと」
そうだ。
あの陰気な出来損ないの機械人形も、「何か」を見たのだろう。
「だが、催眠術で人は死なん。『人間』には、生きようとする本能というモノがあるのだからな」
しかし、奴は自力でそれから脱した。
独力でそれができず、そのままずぶずぶとあの怪光線の見せる幻惑に沈み込んでいったのは―この、小娘。
すなわち、小娘がそうなったのは…


「催眠術で死ねるのは…」

「…自ら、死のうとしている者だけだ」
「…」


暴かれたその理由を突き付けられ、エルレーンは何も言い返す言葉を持たなかった。
ただ、静かに唇を噛む。
あの時の愚かしい自分を…あるいは、純粋に己の望みに従った自分を…恥じているのか。
下を向き、黙りこくってしまう少女。
彼女を見やり、あしゅら男爵は…言葉を継ぐ。
「小娘。お前が何を思って死に急ぐのかは、私の知った事ではない。…だが、」
そこで、一旦、言葉を切り。
金色の女は、蒼い瞳で少女を見る。
「…お前は、まだ…生きているだろう?」
呼びかけるように。
説きつけるように。
「死にたがり」の少女を、蒼い瞳が貫き。
「まだ、時間があるじゃないか…!」
「…!」
その言葉が、エルレーンの鼓膜を揺さぶった刹那―
透明な瞳に、涙が浮かんだ。


それは、まったく、同じ言葉だった。
同じ言葉だったのだ。


あしゅら男爵は知るはずがない。知っているわけがない。
嗚呼、けれど…この人は、いや、この女(ひと)は、同じことを言った。
あの気高き女龍騎士、エルレーンにとってたった一人の「ハ虫人」の「トモダチ」と、同じことを言ったのだ。
脳裏によみがえる、あの女(ひと)の顔。
ゲッターチームとの戦いの中、葛藤に苦しみその挙句に自死を選んだ、あの時。
死の縁で見た幻影の中、現れたあの女(ひと)。
…あの女(ひと)と同じことを、言ったのだ。
「小娘、死ぬのは…哀しい事だぞ。
それに、何もそう急がずとも…時が来れば、相手のほうから勝手に迎えに来る」
あしゅら男爵は、軽く笑って、エルレーンに言う。
軽くたしなめるように。穏やかに慰めるように。
嗚呼、何故。
何故、この女(ひと)も…ルーガと同じことを言うのだろう。
「出来る限り、生きていろ」、と。


「だから、それまで…生きておればいいだろう?」
「あしゅら、さん…」
「せいぜい楽しんで生きればいい。それが一番だよ、小娘…」


何故、同じことを言うのだろう。
それとも、それは…「母親」たるものが、皆一様に「子ども」に対して望むことなのだろうか?
記憶のない、自らの「名前」すら失って思い出せない、この怪人も。
かつては自分の娘にそう語っていた「母親」だったから、なのだろうか―?


くっ、と、金髪の女性の唇が、笑みを形作る。
次の瞬間、金色の残像を空間に残し、両性融合の「バケモノ」がエルレーンの眼前にたちあらわれる。
「…だから、そのために、これを。
一度だけなら…この宝珠が、お前のいのちを危機から守るだろう」
男女のユニゾンが、そうささやきながら。
「死にたがり」の少女に、碧き護り珠を渡す。
「…うん」
エルレーンが浮かべるのは、微笑。
つぎはぎの怪人も、奇妙で奇怪な姿の両性具有(アンドロギュヌス)も、微笑。
少女の手の中で、鈍く輝く海のような碧。
光がきらきら、「生きろ」、「生きろ」と、揺らめいている…
その輝きを、そっと握りしめ。
エルレーンは、生の感触を確かめた―



「ありがとう、あしゅらさん」


拍手[2回]

誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~pianississimo~

*この話は、中編小説誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)の続きです!
これまでの話は↑からどうぞ(*˘◯˘*)


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誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)~pianississimo~
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「ブロッケンさーん!どこ行くのぉ?」
「…!」
ブロッケン伯爵の歩みを止めたのは、その静かな森に不釣り合いなほどの明るい少女の声。
虚を突かれた彼が振り返ると、いつの間につけてきたのか…そこには、エルレーンの姿があった。
…それを見た彼の表情に、多少ばかり面倒くさげな色が浮かぶ。
「…別に。たいしたことじゃない。…帰れ」
「えー?」
率直に追い返そうとしたものの、少女はめげる様子すらなく。
むしろ、ちょこちょことブロッケンの傍に走り寄ってきて。
「それ、なあに?」
「…」
「ねーえ、それ、なあに?」
「…」
嫌そうな雰囲気を押し隠しもせず発散しているブロッケンに対して怯む様子もなく、彼の右手に持った少し大きめのモノを指して問いかける。
どうやら、楽器ケースに興味津々のようだ…
困惑と煩わしさが少しばかり、無表情気味の伯爵の顔に浮かぶものの…少女はそういったものを敏感に感じ取れるような性質ではないようだ。
数秒ばかり、無言という態度で返答していた伯爵だが。
…やがて、それも無駄だと悟ったか、けだるげな吐息と入り交ぜてエルレーンの問いに答えた。
「…ヴァイオリン、だ」
「ばいおりん?…ばいおりん、って、なあに?」
「…楽器」
「へーえ!どんなの?見せて見せてぇ!」
「…」
どうやら、彼女は「ヴァイオリン」自体を知らないのか…
新たな言葉、新たな概念に、ぱっ、とその瞳が知的興奮で輝く。
今度こそはっきりと、ブロッケンが嫌そうな顔をしたが…好奇心を刺激されてしまったエルレーンは全然それに気づくこともなく。
きゃらきゃら笑いながらその楽器を見せろとせがんでくる。
仕方なく、ブロッケンはケースを大儀そうに開き…中で眠っていた、その使いこまれた弦楽器を彼女に手渡した。
「ん~…?これ、吹くとこ、どこ?」
「…?」
「はーもにかみたいに、吹くとこがないねえ」
それをうきうきと手にし、くるくると回して観察する少女…
しかしながら、吹き口?がないことに不思議そうな様子だ。
「吹くものじゃない…弾くものだ」
ブロッケン伯爵は、左腕に抱えていた己の首を胴に据え付け、ヒトの姿に為る。
そうしてから、彼女からヴァイオリンを取り上げ…
左肩と、左顎の間に軽く挟むように構え。
右手に持った長い棒…「弓」を軽くヴァイオリンの弦に当て。
―軽く身体をしならせ、引く。
「わあ…!」
思わず、声をあげるエルレーン。
木立の間を、なめらかな音が渡っていく。
風がさわさわ、と、葉擦れの音をその伴奏と変えて。
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番が、彼女以外観客のいない夜の中で、静かに鳴り響く。
エルレーンは目を閉じ、うっとりとその音色に聞き入る。
人里離れた森林、星空の下。
奏者は一人。観客は一人。
たった二人の、コンサート。
「おーい、エルレーンのお姉ちゃん!」
「あっ、元気くん!」
「ブロッケンさんと、何してるの?」
―と、そこに。
後を追いかけてきた、早乙女元気。
…やかましい観客がまた一人増えたことに、伯爵はついまた深いため息をついてしまった。
「見てぇ、『ばいおりん』って楽器、だって!」
「バイオリン?」
「ブロッケンさん、楽器が使えるんだねぇ…すごいねぇ」
先ほどまでの静けさが嘘のように、にわかに騒がしくなった森。
…百鬼帝国との戦闘(と、その後のエルレーンとのやり取り)。
そのせいで苛立つ自分自身を落ち着かせようと、独りでやってきたのに。
何故か子ども二人に絡まれ、周りできゃわきゃわとやかましい…
そんな沈痛そうなブロッケンの表情にはまったく気づくふしすら見られない二人、楽し気にしゃべっている。
…すると、その会話の矛先が、突然自分にも向いてきた。
「ね、もっと聞かせて?ブロッケンさんの音楽、聞かせてほしい…な」
「あー、僕も聞きたい!弾いてみてよ、ブロッケンさん!」
「…ね?だめぇ?おねがーい!」
「ねー!ねーってば!」
きゃわ、きゃわわ、きゃわわわわわわ。
まったく、子どもの会話というのは…どうしてこんなに、けたたましいのだろう?
無駄にエネルギーに満ちあふれていて、それでいてこちらの話を聞かず…!
…無意識のうちに、頭痛でもこらえるかのように、ブロッケンは額に手をやってしまっていた。
「…」
しかしながら、抗弁しても無駄であろうことは、先ほどのエルレーンとの会話でとうに知れていた。
やっても無意味なことは、繰り返す意味がない…
合理的判断は、正しいながらも面倒なことを彼に強いる。
不承不承、彼は…うるさい子どもたちのリクエストに応えざるを得ない。
「はあ…」
せめてもの皮肉に、当てつけがましいため息をわざとらしくついて見せるものの。
きゃわきゃわとした子どもたちは、そういったものを理解してはくれず…むしろ、わくわくきらきらした目でこちらを見つめ返してくる。
沈黙したまま、ブロッケンは再びヴァイオリンを構え、右手の弓を空に舞わせる。
弓はゆっくりと弦の上を滑り、音楽を奏でだす。
「わあ…」
「…!」
ヴァイオリンが生み出す豊かな音のストリームに、思わず声をあげるエルレーンと元気。
ぺたり、と、地面に座り込み、曲に聞き入る。
軽く目を伏せた伯爵は、既に幾度も弾いたその曲を、容易く演奏し続ける。
白い手袋が、踊っている。
弦とフレットの上で軽やかにステップを踏む左手の指、緩やかに行きつ戻りつする弓を操る右手。
その下に、鋼鉄とパイプが形作る機構があろうとは、誰がわかろうか…
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ。今度は、第2番・Andante。
切なさを含んだメロディーが、少女たちの鼓膜を、こころを揺らす。
人里離れた森林、星空の下。
奏者は一人。観客は二人。
たった三人の、コンサート。


しばし、時と旋律だけが、その空間を不可思議に埋め。
やがて、伯爵の脳内にある楽譜も、最後の部分に差し掛かる。
高い音、低い音。移り変わり、
そして…ことさらにゆっくりと弓を引けば、長く長く音が伸び、それが曲のエンドマークとなり…
引き抜いた弓が、すうっ、と、ヴァイオリンから離れて空に浮く。
ふつり、と。
余韻を残して、音が森に吸い込まれ…消えていく。
奇妙なコンサートは、そうして、終わった。


静寂。
その場の空気が、静止し―豊かな無音が、数秒続いた後。


「わー!すごいねぇ、きれいだねぇ!」
「…それは、どうも」
きゃらきゃら笑いながら、ぱちぱちと拍手するエルレーンと元気。
惜しげもない称賛に、しかしながら…鋼鉄で組まれた伯爵殿は、金属並みに冷たい答えを事務的に返すのみだった。
「ブロッケンさんは、音楽が好きなの?」
「…別に」
元気の問いかけにも、別段、うれしそうでも、楽しそうでもない。
平坦な口調で、短く、そう言うだけ。
それは、嘘をついているようには到底感じられず、ただ事実として述べているだけのように聞こえる。
「ただ…気を落ち着かせたい時に、弾いてみるだけだ」
「そうなの?」
「そんなに上手にばいおりん弾けるのに…」
エルレーンの「どうして?」という感じのセリフにも、目線を合わさず、何も言わず。
何処か投げやりな、無気力、無関心。
色のない、色の見えない、ブロッケン伯爵の表情を見やりながら…元気は、先ほどあしゅら男爵が言い放った言葉を思い出していた。



(あいつは、『死にたがり』だからな)

(あいつは、生きてはいない。生きようとしていない。ただ、死んでいないだけだ)

(自ら生きようと、あがこうとしない。自ら生きようと、望みすらしない。
死神の影を引きずって、引きずったままで、ただこの世に『存在している』だけだ)



それ故、この「バケモノ」じみた、サイボーグの男は。
音楽も、何であっても…まるで、「自分は楽しんではいけない」としているようで。
「…でも、僕は」
けれど、元気にとっては、それは何だか辛い、哀しいことのように思えたから。
この「死にたがり」の伯爵が、かわいそうに思えてしまったから。
…だから、つい、伝えたくなってしまった。
「いい、って、思ったよ…すごく」
彼の音楽が、素敵だった、と。
それを作り出せることが、素晴らしいことだ、と。
…例え、その言葉が、彼にとっては何の役に立たなかったとしても。
「ブロッケンさんのバイオリン…好きだよ」
「…」
幼い少年の、飾り気のない、拙い…けれどもまっすぐな好意。
それを向けられた伯爵は少し戸惑ったのだろうか、しばし言葉を失う。
普段、周囲よりは畏怖と憎悪、忌避しか受けぬ我が身。
そこに突然かけられた純粋な温かさに、意表を突かれて面喰らったのか。
素直にそれを受け取るどころか…軽く首をひねり、こう言ってのけるのだ。
「…おかしな、ガキどもだ」
好意に、軽い嘲りで返す。
けれども、その言葉自体は悪いが…口調そのものは、心なしか穏やかだった。
「おかしなガキだな、お前は」
「ちょ、ちょっとお!」
だが、まあ…小さい子どもに、そんなかすかな機微などがわかるはずもなく。
繰り返すブロッケンの憎まれ口めいた言葉に、ぷんすか怒る元気。
「せっかくほめてるのに、そうゆう言い方はないんじゃない?!」
小学4年生にしては割と身長も低めのちびっ子が、胸を張って抗議する。
「そうゆうのって、よくないと思うなあー!」
世界征服をもくろむ悪の科学者、ドクター・ヘルの部下、破壊の権化たる機械仕掛けの伯爵に向かって、ぷんぷん怒る早乙女元気。
むーっ、とむくれた顔で、さらに主張する。
「大体!僕の名前、『ガキ』じゃないし!…僕には、『早乙女元気』って立派な『名前』があるんだい!」
「…そうか」
そう、ちまっこい子どもだけれど、立派な「名前」があるのだ。
だからそう呼べ、と、邪悪の化生に要求する小学生。
…伯爵は、ただ、一言を返すのみ。
「そうだよぉ…『名前』は、とーっても大事なものなんだから!」
さらに、エルレーンもそこにかぶせてくる。
「名前」の大切さを力説する…
それは、「人間」の精神を、魂を固定する、重要なもの。
そのことを、彼女は自らの経験をもって強く強く認識している。
記憶を失ったあしゅらも、失ったそれを探し求めている…
それほどまでに大切なものなのだ、「人間」にとっての「名前」というモノは。
「ブロッケンさんは…『はくしゃく』ってのが『名前』なんだよね?」
「…はあ?」
…と。
エルレーンの口から、ぽん、と飛び出てきた、ピント外れの問い。
予想外の質問に、伯爵は我知らず眉をひそめる。
「だって、元気くんは『早乙女』がミョウジで、『元気』が名前…でしょ?
だから、ブロッケン伯爵さん、だからぁ…『ブロッケン』がミョウジでぇ」
「…違う」
どうやら彼女は素朴にも、「フルネームの上半分が名字・下半分が名前」と思い込んでいたらしい。
しかしながら、もちろん「伯爵」とは称号(タイトル)であって「名前」ではない。
「え、そうなの?…それじゃあ、ブロッケンさんの『名前』って、何て言うの?」
「…」
彼女の疑問は、止まらない。
止まらないままに、エルレーンは知らずと触れてしまう…
伯爵が、心の奥底に押し込めてしまったことに。
ブロッケンの眉が、ぴくり、と、不快気に上がる。
何かを即座に言い返そうとして、だが…一旦、口を閉ざす。
どう言えばいいかを、少々逡巡しているようだ。
さわさわ、さわさわ、と、そよ風が先を急かしてくる。
もう一度、男が、口を開く。
「…ない」
「?」
よくわからなかったらしい二人が、目をぱちくりさせる。
伯爵は、もう一度反復する。


「今は、もう…ない」


「ない…?」
「どうして…?」
実際のカタチのないモノ、それが「ない」…?
ブロッケンの言うことが理解できないエルレーンと元気。
…嘆息とともに、伯爵は吐き出す。


「…置いてきた」


「えー?『名前』、落としたの?どこにぃ?」
「お…お姉ちゃん、たぶんそういうことじゃないと思う…」
意味が飲み込めずすっとぼけたことを言うエルレーンに、さすがに元気が言葉を挟む。
それでも何やらわかりきっていない様子だったが…次に伯爵が見せた言動で、彼女もやっと理解した。
情で彩られない、凍てついた顔で。
機械仕掛けの伯爵は、先を続けた。
「…見てわかるだろう。我輩の姿を」
はっ、と、短く息をつき。
手にしたヴァイオリンと弓を、ケースに置き。
ブロッケン伯爵は、おもむろに自らの頭に両手をかけ…ぎっ、と、ひねった。
刹那、ぎりっ、と音を立て、本来であればそこで断ち切れるはずのない場所で…首が、取れる。
左腕が、そのまま抱え込む。彼の、首だけを。
その動作は、どこか露悪的で。
自分が人間離れしているさまを、二人に見せつけんとしているようで。
左腕に抱えられた生首が、淡々と言い放つ。
異常な姿で、異常な言葉を。
「我輩は…一度死んでいる。死んで、こんな有様になっている」
その口調はまったく、感情のぶれというものが感じられなかった。
平坦に、そう吐き捨てる。
もうすでに、彼の中でそれは「どうでもいい」ことであるかのように。
「…」
元気の中で、またあの時にあしゅら男爵が言った言葉がよぎる。
…彼は、今ここに在ることすら、倦んでいるのだ。
「だから、その時に。『人間』としての『名前』は…置いてきた」
そう、それ故に。
今の自らを、彼はその端的な言葉で表現する。
彼は自分を最早「人間」だとは思っていない、現在の自分の姿を―
「『バケモノ』に、『人間』の『名前』など…必要はないからな」
眉一つ動かすことなく、ブロッケンはそう断じた。
強張った、表情のない顔で。
その中で、異様を放つのは、その瞳…
…黒い瞳。
そう、黒い瞳だった。
真っ黒で、何の光も映さない。
「でも…」
それでも。
そのうろ暗い瞳に気おされながらも、エルレーンは言った。
かすかに細い声が震えたのは…怖じたからではない。
「ブロッケンさんは…私を、助けてくれたよ」
それは、こころがさざめいたから。
自分と同じモノを見た、自分と同じ哀しみを知っている、その男の言葉に。
闇に落ちた自分に、過去を語り…慰めの言葉をかけてくれた、その男に。
「だから、ブロッケンさんは…『バケモノ』じゃないの」
透明な瞳に、少女の網膜に、さかしまに映り込む、軍服姿の男。
己が頭蓋を、己が腕で抱えるという、「人間」では到底あり得ない身体。
デュラハン(首なし騎士)のおぞましいその有様を見て、彼女は―そう断言した。


「…」


少女の声が、森の空気の中に散っていく。
ブロッケン伯爵の黒い瞳が…わずかに、揺らめいた。
それでも彼は、「バケモノ」たろうとする彼は…冷たく少女の言葉を拒絶する。
「そんなもの…ただの、成り行きだ」
「…」
冷淡な拒否。
エルレーンの表情を、哀しみがかすめる。
―けれども。
「…でも、」
今度は、少年の声。
元気は見つめる。
「バケモノ」を。
あの戦いのさなか、エルレーンを決死の覚悟で…己の腕すら失うことすら辞さぬ覚悟で、救った彼を。



「誰かを、助けることができるヒトは…『バケモノ』なんかじゃ、ない、って…僕も、思う」



「…」
刹那。
…伯爵の表情が、一瞬。
一瞬だけ、変わったのを、二人は確かに見た。
軽く目を見開き、自分たちを見返した、その瞳。
軽い驚きと、困惑と。
苦笑のような、微笑のような。
ただ、それだけ。
それだけなのに、何故か…伯爵の表情は、ひどく「人間」くさいものに見えたのだ。
凍りついた、自ら凍りつかせた、常に彼が張り付けている仮面ではなく―


―しかし。
それはやはり、一瞬。
ほんの一瞬だけの、油断。
元気たちの視線に気づいた伯爵は、すぐさまに…
冷酷で冷淡な仮面で、自身の惑いを、「人間」らしさを覆い隠してしまう。
「ふん…」
それは、そんな自分の姿を見られた、彼の照れ隠しなのかもしれない。
視線をわざと、遠くへ投げて。
機械仕掛けの怪人は、再び首をあるべき場所に据え。
子どもたちのほうを見ずに、またヴァイオリンを拾い上げ、構え…弓を引く。
黒い夜。満天の星々。何処か哀しげな旋律。
ブロッケンは、ただただバイオリンを奏で続ける。
エルレーンと元気は、最早…口を開くこともせず、孤独なそのメロディーに耳を傾けていた。

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